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2020年1月13日 (月)

映画スター☆トゥインクルプリキュア「星のうたに想いをこめて」感想

スター☆トゥインクルプリキュアの本編も終盤で今更感満載ですが、映画の感想です。

 

星の子供ユーマをひかりとララが拾ってしまい、ユーマとの間の交流と、ユーマを宝物として狙う宇宙ハンターとの対決、そしてハンターの悪意を受けて破滅しそうになるユーマを助けるという壮大な物語でした。今回は特にララの成長が描かれていました。最後の別れのシーンでは思わず熱いものがこみ上げてきました。

展開も自然でテンポが良く、沖縄や世界遺産の風景画も美しく、終盤に出てくる星となったユーマも幻想的で素晴らしかったです。アニメとしての完成度もばっちりでした。

ターゲット層の幼児に、未知の文化を持つ存在と出会い交流することの難しさと素晴らしさを教えるという意味でもよくできていたと思います。アニメ映画としては「ドラえもんのび太の鉄人兵団」と同等の感動でした。要するに最高ってことです。DVDも予約しました(笑)

 

以下とりとめのない感想が続きます。良かったら読んでください。

 

記憶で書いているので間違っているかもですが、確かロケットが故障して、ララはひかるの部屋に居候することになります。部屋で一緒に寝起きする二人が可愛い。寝起きのララや、遅刻しそうになって慌てるララが可愛い。普通は宇宙人は地球人よりもハイスペックなのが常道ですが、ララちゃんはポンコツで、どっちかというと生身のスペックはひかりの方が高いので、ひかりがぶっ飛んだお姉さんで、ララは背伸びをする妹みたいな立ち位置になっています。とにかくかわいい。

拾ったスタードロップはテレポーテーション能力を持っていました。そういえば今回は本編の妖精に当たるフワとプルンスは、子育てというテーマが重なるのでほとんど出てきません。それも新しい。ひかるとララはオカルト系の世界遺産を訪問しまくります。その風景がとにかく精緻で美しい。現実にはなかなか見られない構図で世界遺産を見せてくれるのはアニメならではです。

次いで沖縄へ行きます。沖縄の町の風景はアニメと調和した絵柄になっていてとてもなじみやすかったです。写真から起こした美術を使うことが多くなった昨今のアニメですが、やはり人間が描いた絵でないとアニメキャラとは調和しないと思います。奥行きがあり空気や雑踏まで感じられる沖縄の国際通りを、ひかりとララが迷子になったユーマを探すシーンはこの映画の隠れた見せ場です。沖縄へ行ってみたくなりました。

本編でもやや精神的に幼いところがあるララ。年相応なので悪くないと思いますが、中学生がいきなり兄弟ができたみたいな感じで、ユーマとの距離の取り方に戸惑うところがリアルでよい。こう時にはひかりやえれなだと上手に幼児の気持ちをおもんぱかって付き合えちゃうのでストーリーになりません。ユーマを探していたはずなのに見つけて驚いてしまうララ、どうしてよいかわからなくて思わず歌を歌ってしまうところなんかグッときます。そういえば劇中歌の「ながれぼしのうた」は本作用に作曲されたものなのですね、てっきりそういう童謡があるのだと思っていました。騙された!(作品が成功しているということ)

宇宙の密猟者、スペースハンターとの戦闘シーンでは、星座ドレスが12着総てみられるのがとてもうれしい。技も全部見られて楽しい。本編では技も5つくらいしか出てきませんからね。それが聖闘士星矢みたいでかっこいいんだな(絶対に意識していると思う、同じ東映だし)。

最後に様々な人から得たイメージでできたユーマの星に降り立つひかりとララ。かなり無秩序ですが、子供の精神がどのようにしてできるのかを寓話的にあらわしています。すばらしいコンセプトです。悪意を受けて荒れた星になりかけるけれど、最初に受けた二人の愛を思い出して星が生き返るところはとても感動的です。ここは特に子育てを経験した母親は、涙なしには見られないところだろうと思います。隣に座った子供連れのお母さんは泣いていました。いや、ここ本当に泣けます。

とにかく素晴らしいアニメだったと思います。子供のこともよく考えられていて、これぞ子供向けのアニメ映画の傑作と言えます。スタッフの皆さん、キャストの皆さん、東映アニメさん、ありがとうございました。

2019年11月 1日 (金)

華厳経(十六) 徳生童子と有徳童女そして旅の終わり

46人目から先は解脱者です。

 

余り説明がないために、どういう人かわからないので飛ばします。

 

51人目と52人目の徳生童子と有徳童女を最後に取り上げます。

 

この二人は同時に現れます。

 

徳生童子と有徳童女は、すべての物質・国土(時空のこと)・心・菩薩(知性体)は幻であると言います。この世は宇宙コンピュータ上のデータであると言いたいのでしょうか?とすると、宇宙データベースである天主光童女は宇宙そのもの?

 

「この世の全ては幻なんだって」

「物質も、空間も、時間も、実体はないのさ」

「それどころか、人間が物や時間と思っていることと、情報の間には差がないのだよ」

「それらはみな存在しない何かでできているんだよ」

「その何かこそが・・・」

 

最後に男女の子供が出てきて、宇宙の謎をささやいて善財童子の旅は終わりです。

 

あとは弥勒菩薩・文殊菩薩・普賢菩薩に出会って旅の報告と打ち上げです。

 

さて善財童子の旅はいかがだったでしょうか?

二千年前にこれほど深く宇宙の深淵を覗いた人がいたことは衝撃的ですね。

2019年10月30日 (水)

華厳経(十五) 遍友童子師、善知衆芸童子

自らの意識深くに入り込んでアニマ(女性性)と出会い、世界樹にアクセスした善財童子は、天空から地上に降りてきます。そして遍友童子師の案内で善知衆芸童子に会いました。

 

遍友童子師の説明がないのですが、これは悟りを開いた後の長養を表しているのでしょう。悟りの世界から娑婆に戻ってくるには、リハビリが必要です。禅僧の生涯なんかを読むと、その話が出てきます。

 

さて、善知衆芸童子は全ての学術を記録しているAIです。

文字・算数・医薬・呪術・占い・気候・国土の安危(地政学)等など

全ての病気を治し、呪いを説くと言います。

 

世界樹にアクセスしただけでは現実世界では役に立ちません。世に役立つ学術を身に着けよと言っているわけですね。

2019年10月28日 (月)

華厳経(十四) 天主光童女

彼女は既に解脱したのだと言っています。従って如来ということになります。

 

遂に天宮に行って童女と会うと書いてありますので、これが善財童子の最終到達点でした。ここから先は人間の認識を超えた次元です。

 

世界樹の先ですから、これは世界樹が宇宙の果てへと続く宇宙エレベーターでもあることを示しているのでしょう。善財童子が求めてやまなかった現生のテーマ「女人」の彼にとっての真理を見た後で、彼は時の管理人に出会います。よくここまで来ましたね、ということで特別に時の管理人との面会がかなったのでしょう。

 

わざわざ宇宙の果てまで来て「女」を検索したこの正直者に時の管理人も興味を抱いたのかもしれません。

 

彼女はガンジス川の砂の数ほどの数限りない菩薩を見てきて、

・菩薩が母胎に入った時

・誕生の時

・よちよち歩きをしたとき

・口をきいたとき

・子供として遊んでいた時

・菩提樹の下で正しい悟りを開いたとき

・魔を下して人々を強化したとき

すべてを記録して、眼前に映像として再生できます。

 

この場合の菩薩というのは宇宙の知的生命体一般です。その人生を全て記憶しているのです。宇宙のデータベース(世界樹)そのものと言えます。宇宙のデータベースはなんと童女(少女)でした。

 

乳母、妻、生母と来て最後に現れたのが童女でした。

 

自分は八十四億八千那由他の仏を見てきた。

Wikipediaの那由多の説明によると

これは1038乗に等しいです。(億が108乗)

 

一つの銀河の中には一千億、大いい物では一兆の星があります。

人間が想定できる宇宙の範囲内には銀河は二千億個あるらしいです。

108乗の二乗ですから1016乗です。

1038乗はその二乗の1万倍です。

 

ということは、宇宙の知的生命体11人に宇宙の生命体全てが含まれていて、それが1万世代と考えると1つの宇宙の知的生命体の数として規模は合います。

 

善光宇宙時代では、ジャンプ州の塵に等しい数の仏を供養した。

無量光宇宙時代には、20のガンジス川の砂の数に等しい仏を供養した。

善悲宇宙時代には80のガンジス川の砂の数に等しい仏を供養した。

勝游宇宙時代には60のガンジス川の砂の数に等しい仏を供養した。

妙月宇宙時代には70のガンジス川の砂の数に等しい仏を供養した。

今は6つ目の宇宙です。少なくとも6つの宇宙を経験し

そこで起きたことをすべて残らず記憶しているというのです。

 

天主光童女の解脱の力ですべての神変の力を理解していると言います。これは究極の智慧です。その名も無礙念清淨解脫です。自分の法門が「解脱」と言っているのは彼女だけです。解脱と言っているわけですから、この後に控えている弥勒菩薩・文殊菩薩・普賢菩薩よりも格上です。

 

これは如来すら超えており、究極の存在と言えるかもしれません。しかし彼女は三十三天の一つ、正念王の王女ですから、まだまだ上には上がいるということなのでしょう。

 

宇宙の広さは果てしないのです。

2019年10月26日 (土)

華厳経(十三) 摩耶夫人

摩耶夫人は言うまでもなくお釈迦様の生母です。

 

善財童子は、摩耶夫人は如来に等しいと絶賛しています。善財童子は様々な女神や女性に出会い、最終的に母性に立ち返ったのでした。

 

乳母=仏教の未来である密教、すなわち精神世界と科学技術の融合

妃=可愛らしい純真な少女(善財童子はやはり…)

生母=生命を生み出す母は如来に等しい

 

善財童子は以上の結論を出したわけです。

 

しかしこれは童子個人の答えですので、それを絶対的な真理と受け取る必要はないのです。

 

お釈迦様の育ての親であるマハーパジャーパティーが、密教を管理する女神になっているというのは深い意味があります。そして生母のマーヤー夫人はこれからも未来の仏を生み出すのです。現身の女性の象徴であるヤショーダラー姫は、これからも男性と女性はともに歩んでいくことを象徴しています。

 

大事なことはお互いを思い遣る心だと華厳経は説いています。

«華厳経(十二) カピラバットゥ城の瞿夷夫人(ヤショーダラー夫人)