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2021年1月16日 (土)

大野寺と札所十一番

ダウンロード -お遍路マップ (札所1~19番) ohenromap01.pdf

かつての遍路道は、十番の切幡寺から南下して、大野寺を通過し、吉野川最大の中州である善入寺島(古代からの名前は粟島)で吉野川を渡河して、川島、鴨島と進んで十一番の藤井寺に向かっていました。大野寺は天智天皇の勅願寺と伝わる、阿波国最古のお寺です。そして粟島には宿場町があり、遍路客と物資の参集地として大変栄えたと言います。

しかし粟島が遊水地に指定されて住民が強制退去させられ、お遍路も電車やバスで回るのが主流になると、十番と十一番の間の地域は閑散とするようになってしまいました。粟島は今は園芸農業が盛んですが宿場町としての見る影はありません。

 

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大野寺は阿波市市場町山野上大西にあります。天智天皇の勅願寺と伝わります。本尊は阿弥陀如来。

同じく天智天皇勅願が阿波にはもう一つありまして阿南市宝田町の隆禅寺です。大野寺と隆禅寺は兄弟のお寺で、中世に両寺が衰微した時代、片方の住職が途絶えたら、もう片方が住職を派遣するなど支え合っていたそうです。

何でこんな話が分かったかというと、参拝していたら大野寺の御住職のお義母さんからお話がきけたからです。先代の住職の妹さんということでした。八十過ぎですがとてもしっかりとされていました。

お婆さんからの聞き取りと鴨島図書館で調べた話を総合すると、天智天皇は阿波国に大野寺と隆禅寺を建立しました。その後嵯峨天皇の勅願で大野寺の末寺14寺が建てられました。粟嶋にも宝幢寺と宮ノ坊善入寺があったそうです。

大野寺は飛鳥時代には東西に奈良の薬師寺と同じ塔が建っていたということです。

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このように礎石が残っていますので塔があったのは事実と考えられます。

大野寺では大海人皇子が得度したという伝承があります。俄には信じがたいのですが、忌部氏が記紀神話作成で果たした役割を考えると何らかの事実を伝えているのかもしれません。忌部氏が大嘗会に荒妙を献上するようになったのも天武天皇の時代からです。

一時期衰微しましたが、嵯峨天皇によって再興されたそうです。

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本堂

大野寺は蜂須賀の殿様からも崇拝されました。縁日には大きな市が立ったそうです。それはこの地の町名に残っています。切幡の市よりも大きかったと言います。

近代になって明治政府からかなり土地を没収されてしまったが、それでも徳島県最古の寺として重視され、お遍路も必ず通っていたので栄えていました。戦前までは学問所もあり、50人もの学僧が学んでいたそうです。お寺専門の宮大工が住んでいたそうです。付近の寺が次々と無住になったので、お堂と本尊を吸収していったそうです。虚空蔵堂も大日堂も周辺のお寺にあったものだということです。正月には阿南の隆禅寺に挨拶に行く行事もあったらしいです。

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大日堂

戦後に一時期衰微したが、当代(おばあさんの娘婿)が苦労して再興したということです。とても貴重な証言がきけました。ありがとうございました。

 

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川島から粟嶋へ渡る沈下橋。四万十川だけの専売特許ではありません。

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川島神社。天日鷲命が祀られています。

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奈良時代から続く由緒ある神社です。

 

鴨島はかつては宿場町として栄えたのですが、お遍路がバス主流になってからは急速に衰えてしまいました。でも駅前にはお遍路用のリーズナブルな宿があります。夜中まで開いている料理屋さんもあります。駅前の宿に二泊しました。

 

十一番 藤井寺

金剛山

本尊 薬師如来

鴨嶋駅から南に歩いて三十分くらいで藤井寺につきます。山道の入り口にあります。

ご本尊の薬師如来は体内の墨書から久安四年(1148)の作であることが確認されています。四国八十八ヶ所では最古の仏像だそうです。もとは釈迦如来だったが、この地に残る弘法大師伝説に合わせて薬師如来に変えられたとのことです。秘仏です。

 

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藤井寺の山門

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本堂。

お遍路はここから完全な山道に入ります。世に言う遍路転がしの坂です。

 

秋はここまで行きました。年末にさらに先へ進もうと思っています。

2021年1月10日 (日)

ヒーリングっとプリキュア~新年早々ラスボスが!?

1)いきなりすぎるラスボスの退場

いきなり敵の本拠地に踏み込んだのには驚きました。

どうにも展開が唐突ですが、不思議と新型コロナウイルスの第3波に伴う緊急事態宣言の再発動に連動することになりました。制作側が感染第3波を予測していたことはあり得ないので、そういう運命を背負った作品なのでしょう。

なんとプリキュアたちはド根性でラスボスを倒してしまいましたが、残りの2ヶ月は幹部と戦うことになるのでしょうか。これもなぜか変異種の登場と符牒を合わせるかのようです。

もはやこの作品は物語としての整合性を超えた何かに突き動かされているのかもしれません。

 

2)今後のコロナウイルスのパンデミックとプリキュアの展開

インフルエンザやコロナウイルスは変異を繰り返していくので、親玉を叩いたと思ったら、すぐに変異種が現れて戦いは果てしないです。ラスボスだったはずのキングビョーゲンがあっさりと倒れて、手下が進化して親玉並みの力を備えるというのは、ウイルスの特徴をよくとらえています。

コロナウイルスは撲滅できません。野生動物にも宿るウイルスですから、できたとしても数百年先になると思います。だから最後は人間と無力化したビョーゲンズが共棲する結末になるのかもしれません。

宿主を絶滅させてしまうほど毒性が強いウイルスは子孫を残せませんから、やがて毒性が弱まったウイルスが優勢となっていきます。でもその過程で、毒性が強い変異種が猛威を振るう展開が来ます。遺伝子の突然変異はランダムに発生しますので、毒性が強い物も弱い物もバラバラに生み出されます。今感染爆発を起こしている変異種は、第1波・第2波と毒性は同じだけれど、感染力は強いウイルスです。だから重症者の割合は変わらないけれど、母数となる感染者が急速に増えているので、医療崩壊の危険が叫ばれています。

あまり考えたくはないですが、この変異種が変異して、感染力と強い毒性を併せ持った更なる変異種というのは、必ず現れます。これがパンデミックの最盛期で、その時期は今年の春先か、もしくは次の冬になります。世界の保健当局がワクチンの開発と接種を急いでいるのは、感染力と強い毒性を併せ持ったウイルスが現れる前に叩こうとしているからですが、それはなかなか難しいと思います。

このようにして最悪なウイルスが現れて、その後にやっと人間と共棲ができるウイルスが現れるでしょう。それがパンデミックの最終段階です。それは2022年の春だろうと思います。のどかの身体から生み出されたダルイゼンは今回はサボっていましたが、これは体の中に潜んで、たまに日和見感染をするという、宿主と共棲するタイプのウイルスの特徴です。東映アニメはプリキュアには力を入れていますので、そこまで研究して展開を考えている可能性もあるでしょう。

2021年1月 9日 (土)

土御門上皇と札所六番から十番

ダウンロード -お遍路マップ (札所1~19番) ohenromap01.pdf

札所六番安楽寺から上板町に入ります。

ここでこの区間を歩き遍路をする場合の注意点。

札所五番地蔵寺のあたりまではバスやタクシーも多いのですが、安楽寺から先の上板町と阿波市はいきなり交通の便が悪くなりますので、宿泊地や補給には十分に注意してください。県道12号まで出ればコンビニもありますが、遍路道にはコンビニがなく、それどころか札所六番から九番までの間には自動販売機もありません。夏場には水を確保した上で歩かないと大変なことになります。便利な都会に慣れた人は注意です。

徳島市と鴨島駅の間にはバスが通っていますが、一日5往復ほどしかありませんので時間は十分に確認する必要があります。札所が並ぶ山すそと、徳島交通鴨島線のバスルートは3㎞ほど離れており、札所七番~十番からバス停までは、最低30分はかかります。

坂東三十三ヶ所や西国三十三ヶ所は、たいてい山門までバスが来ていますが、四国八十八ヶ所にはお寺の前までバスが来ているとは限りませんので、百観音と同じ感覚で行くと大変な目に遭います。

逆に言うと、江戸時代のお遍路の雰囲気が味わえるルートともいえるわけです。

 

第六番 安楽寺

温泉山 瑠璃光院

本尊 薬師如来

この日はまず朝にバスで板野から東野へ行って安楽寺の宿坊へ荷物を置いてからスタートしました。

安楽寺は弘法大師が赤茶色の温泉を掘り当てて、その地の病人を癒したという伝説があります。あるいは、猟師が鹿と間違えて座禅中のお大師様を射てしまったのですが、偶然木の枝が落ちて矢が当たってお大師様は助かり、お大師様がその枝を土に植えると枝は根付いて大木になったと言われています。それが境内の逆松です。

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かつて逆松があったという庭。境内はよく整備されています。

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札所一番から始めて最初に行き当たる宿坊です。札所二番の宿坊は現在休業中。広い湯船の温泉があります。熱めのお湯で歩き遍路の疲れを癒してくれます。料理もおいしいです。夕食前のお務めがあって希望者は参加ができます。ここのお務めは趣向を凝らしています。普段は入れない大師堂の中にもお参りさせてもらえます。

本尊薬師如来はこのお寺でお遍路を勧められて道中でお陰をもらって病気が恢復した、大阪の夫婦が寄進した薬師像です。秘仏の本尊が胎内物として納められています。この夫婦の感動的なお話は食堂で流れるビデオで見ることができます。つい三十年ほど前の実話だそうです。

昔の面影が残る街並みを通っていくと、小一時間で札所七番にたどり着きます。

 

第七番 十楽寺

光明山 蓮華院

本尊 阿弥陀如来

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お遍路とはあまり関係ないかもしれませんが、こちらの絵馬は絵が可愛かったです。

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ダウンロード -鎌倉時代前期皇室系図 zenkikamakurakeizu.pdf

さてここから遍路道を外れて北の山へ向かいました。気になる神社があったからです。山皇子神社、宮川神社、御所神社です。その日はお祭りの日で山皇子神社の神主さんから神社の由来を教えていただけました。山皇子神社には土御門上皇の御所があったという伝説があるそうです。

土御門上皇とは後鳥羽天皇の第一皇子。建久九年(1198)に四歳で践祚。父の後鳥羽上皇が院政を敷きました。そして承元四年(1210)十六歳の時に後鳥羽上皇の命により、弟の順徳天皇に譲位しました。

土御門上皇はとても温和な性格で、後鳥羽上皇の討幕計画には関与しませんでした。そのため、承久の乱でも罪に問われなかったのですが、「父が遠島なのに、息子の自分だけが京都に留まるわけにはいかない」と言って、自ら土佐国へ遷御しました。その後幕府の勧めで、畿内に近くて環境が良い阿波国へと移りました。その時の住居がこの辺りにあったと言われています。

上皇の御所と墓地の候補は複数あってどれが本物かは定かではないです。山皇子神社は、いかにも古代人が信仰しそうな形の山のふもとにありますので、古代からの信仰があって、それが上皇の記憶と習合したようにも思えます。

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山皇子神社の遠景。平野に突き出した半島状の山。まさしく櫛。なだらかな三角型の山で、いわゆる神南備山です。上皇がお移りになる前からの聖地であったのでしょう。

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山皇子神社。とても雰囲気の良いお社です。すぐ近くに謎の巨大な木造建築がありますが、この神社とは関係はなさそうです。

 

更に山の方へ行くと宮内川沿いに宮川神社があります。天照大神をお祀りする神社です。

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こちらでもお祀りをしていました。お彼岸の中日だったからでしょうか。ここも静かで良いお社でした。古くからの鎮守といった感じです。

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天然温泉御所の郷

温泉施設を横目に見ながら西へ向かうと神宮寺と御所神社があります。御所神社の御祭神は土御門上皇と素戔嗚尊です。

神社に掲示してあった由緒によりますと、元々は吹越天王社と呼ばれていて、天禄年間(970頃)に、高林坊盛尊が讃岐国多度津浦から天王像を奉じて霊地を探してこの地に到り、領主の原田義富、三木景久とともに願主となって神社を創建したそうです。

元禄九年(1696)に神宮寺別当の順雄は、吹越神社が宮内川の洪水にさらされていることを憂えて、高台の上にお宮を移したと伝わっているそうです。

ここでも女性の神主さんが祝詞を唱えていました。御所神社という名前の通り、上皇の行在所の候補の一つです。神宮寺には驚くほど立派なお堂が立っておりました。

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御所神社の本殿。とても長い階段を上ったところにあります。

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でも実は高台の上にも道路があるので、車でお参りするのならば裏の道路から入るのが良いでしょう。神主さんも車で来ていました。

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神宮寺の境内。薬師如来の道場らしいです。とてもきれいな境内で、地元の人たちから篤く信仰されていることが見て取れます。

 

幕府は上皇のために守護の小笠原長経に命じて御所を造営させていますので、気を遣っていたようです。上皇は寛喜三年(1231)に阿波国板野郡池谷で37歳で崩御されます。池谷は一番札所よりもさらに東ですので、実際はこの辺りに住んでいたようです。しかし熊野の海賊が上皇を迎えるために攻め寄せたこともあるそうで、この土成のあたりに避難することもあったのかもしれません。

十一年後に上皇の第三皇子が即位します。それが後嵯峨天皇で現代に繋がる皇統です。

 

第八番 熊谷寺

普明山 真光院

本尊 千手観音菩薩

江戸時代の初期に建てられた重厚な仁王門が目立つお寺です。大師堂からは徳島平野が遠望できます。

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大きな多宝塔。熊野修験と関わりが深いお寺だそうです。

 

第九番 法輪寺

正覚山 菩提院

本尊 涅槃釈迦如来

熊谷寺から吉野川へ向かってなだらかに傾いている平野を下っていくと、九番札所につきます。この辺りは条里制跡もよく残っていて歩くのが楽しいです。

涅槃釈迦像がご本尊なのは、八十八ヶ所ではこちらだけです。

 

第十番 切幡寺

得度山 灌頂院

本尊 千手観音菩薩

ここからは約一時間ほどずっと緩い上り坂が続いて、地味に疲れます。でも道は歩きやすいです。名前の通り機織りの伝説が残っています。弘法大師がこの地を訪れた時、山麓で機織りの娘に出会いました。この時大師はほころびた僧衣を繕うために布切れを求めたところ、娘は織りかけていた布を惜しげもなく切って大師に差し出しました。

貧しい娘のこの行為に大師は感謝し、望みを尋ねたところ、「亡き父母の菩提を弔いたい」と言ったので、大師は一夜で観音菩薩像を彫り上げ、娘に得度灌頂を授けると、娘は生きたまま仏と化し、観音菩薩に姿を変えたそうです。

あるいはこのような伝説もあるそうです。弘仁年間機織りの娘が雲水に請われるままに布を与えました。その娘の父は北面の武士で(御所を警固する武士)阿部某といったが冤罪で殺されてしまい、妻も後を追ったので娘は天涯孤独の身なのでした。母が観音菩薩を作りたいと言っていたその願いをかなえてあげたいと娘は言いました。

雲水は一夜で本堂と本尊を作りました。そして娘はやはりその場で即身成仏して観音菩薩となりました。南向きの本尊がこの時に大師が彫った仏で、秘仏の北向き本尊は即身成仏した娘と言います。

この地域は機織りで有名な忌部氏の本拠地でしたので、このような伝説ができたのでしょう。

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お遍路の最初の難関。長い石段を登った先に本堂はあります。

観音巡礼者には懐かしい、観音霊場に多いタイプの山寺です。

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大師堂。

 

この日は歩いて安楽寺まで戻りました。かなり疲れたです。

2021年1月 2日 (土)

札所四番から五番そして鹿江比売神

ダウンロード -お遍路マップ (札所1~19番) ohenromap01.pdf

第四番 大日寺

本尊大日如来(黒岩山、遍照院)

第三番金泉寺を過ぎ、山に入っていくと札所四番の大日寺にたどり着きます。

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大日寺の本堂と大師堂の間の回廊には西国三十三観音の仏像も展示されています。

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第五番 地蔵寺

本尊 将軍地蔵菩薩(無尽山、荘厳院)

大日寺から山を下っていくとまず地蔵寺の奥の院の羅漢堂にたどり着きます。羅漢とは仏になる前の修行中の僧です。

お釈迦様の涅槃(死)に立ち会った直接の弟子は五百人いたと言われています。その全ての等身大の像がここには納められています。悟りを開く前の羅漢ですので人間味のある像です。

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羅漢堂は二百米くらいの長い回廊です。本堂が釈迦如来、向かって左側に弥勒菩薩、右側に弘法大師の像が安置されています。弥勒菩薩は56億年後の未来に、人間を導いてくださる仏様です。法華経に登場します。弘法大師様は現代の日本人を導いてくださる菩薩です。過去(釈迦如来)、現代(弘法大師)、未来(弥勒菩薩)の三つの世界を導く仏がそろっているという見立てなんですね。

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奥の院の羅漢堂から地蔵寺へと下る道。

地蔵寺は、将軍地蔵菩薩をご本尊とする珍しいお寺です。武人の姿をしたお地蔵様で、武士から篤く崇拝されました。

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札所五番地蔵寺と札所六番安楽寺の間には鹿江比売神(かえひめがみ)を祀った殿宮神社があります。鹿江比売神とは、大麻比古神の娘で大山祇神の妻とされる神様です。延喜式には板野郡に鹿江比売神社があったとされています。有力なのが板野町の神宅の殿宮神社です。

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殿宮神社。神宅の集落の真ん中にあります。別名葦稲葉神社。草野姫(かやのひめ)を祀っています。鹿江比売と音が同じなので、延喜式の鹿江比売神社であろうと言われています。

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殿宮神社の由緒。仁明天皇の承和九年(842)に従五位下を得たとあります。承和の変があった年です。清和天皇の貞観九年(867)に従五位上を得ています。応天門の変の翌年です。中央で政変があった年に、人心を鎮めるために、地方の神社が叙爵されていることが分かります。

この辺りは背後に山地を持つ扇状地です。山の神に対する、野の神という信仰があったことが伺えます。

 

神宅の殿宮神社は、大山寺へと登る道の入り口です。大山寺はお遍路の別格二十番の第一番です。標高691mの大山の中腹450mにあります。つづら折りの林道を登っていったところにあります。徒歩であれば登山用の遍路道を登るのが早くて足も傷めないですが、夏は蜘蛛の巣がかかってて難渋します。登山道を歩く場合には、マムシにも注意してください。

 

別格一番 大山寺

本尊不動明王・千手観音

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登山道から見る徳島平野の眺望は格別です。遠く淡路島や和歌山市も見えます。

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山門から続く石段。

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本堂、不動明王と弘法大師が唐の恵果上人から授かったという千手観音を祀っています。阿波国の山岳仏教の嚆矢と言える寺院です。徒歩であれば殿宮神社から往復で3時間は見ておいた方が良いです。納経所では別格二十番のご朱印帳、掛軸、特製の数珠など装備は全て揃えることができます。別格二十番というのは、八十八ヶ所には選ばれなかったものの、お大師様とは深い縁を持つお寺二十寺を集めたものです。いずれも山奥でお参りするには難易度が高い場所にあります。八十八ヶ所と二十寺合わせて、煩悩の数と同じ百八になります。ご朱印とは別に、各お寺にあるお数珠の珠を集めていって、全て回るとお数珠が完成するというのもやっています。

2020年12月26日 (土)

大麻比古神社から札所三番まで

ダウンロード -お遍路マップ (札所1~19番) ohenromap01.pdf

大麻比古神社(おおあさひこじんじゃ)は、阿波国一ノ宮です。徳島県鳴門市にあります。大麻山(541m)の麓に鎮座。奥宮は大麻山の山頂です。周辺に古墳も多く畿内にも近いことから古くから開けた地域でした。古代には南海道の石濃駅(いそのえき)が大谷にあったとされています。吉野川の北側です。

社伝によると、神武天皇の御代に天太玉命(大麻比古大神)の子孫である、天富命が勅命により肥沃の地を求めて全国各地を巡り、阿波国に到り、麻や楮を育てて麻布・木綿を作り殖産興業の基を築きました。そして太祖である天太玉命を阿波国の守護神としてこの地にお祀りしました。猿田彦大神は、大麻山の山頂にお祀りされていたが、後世に大谷の大麻比古神社に合祀されたそうです。

清和天皇貞観元年(859)には朝廷より神階従五位上を賜り、以後順次進んで、中御門天皇の享保四年(1719)に正一位を賜りました。

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現在でも徳島県の人々に親しまれている神社です。

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このアーチ形の石橋は、第一次世界大戦で捕虜となったドイツ兵が建築したものです。近くには板東俘虜収容所跡があります。日本で最初にヴェートーベンの第九を演奏した場所として音楽好きの間では有名です。鳴門の人たちとドイツ兵の交流は日独友好の証です。

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大麻比古神社のご由緒。

 

大麻比古神社が吉野川南岸の忌部神社と同工異曲の神話を持っていることはすでに触れました。しかし神様の名前が天太玉命・天富命・大麻比古命になっています。忌部神社は天日鷲命です。吉野川を遡っていくと、天日鷲命を祀る神社が増えてきます。私は讃岐や畿内から入ってきた人たちが板野郡の先住民の忌部氏を吸収していったのではないかと考えています。

板野郡の奈良時代の戸籍が奇跡的に残っていて、この辺りは物部と粟凡直が多かったことが分かっています。

このあたりには宇志彦神社・宇志比売神社という、古代の族長を神格化したと思われる神社もあるのですが、今回はお参りする機会がありませんでした。

 

以下は私の想像ですが、この神社には丸山神社という摂社があります。大麻比古という神名は、稲城市の大麻止乃豆乃天神社と似ています。大麻止乃豆乃天神社は大丸にあり、占いの神様でした。大麻止乃豆乃天神社は武蔵国稲城にも忌部氏が来ていた名残なのではないかと思うのです。全国に分布する「丸子部」も忌部氏と関連がありそうだと考えています。

 

一番札所 霊山寺(竺和山一条院)

本尊釈迦如来

大麻比古神社から二百米ほど下ると、八十八ヶ所の第一番、霊山寺があります。かつてはお遍路さんは大麻比古神社で道中の無事を祈ってから打ち初めをする習わしでした。

伝説では弘法大師がこの寺を開いたときに、一人の老僧が弟子に教えを説いているのを目にしたとされています。これは即ち、大麻山をお釈迦様が教えを説いたマガダ王国の霊鷲山に見立てているわけです。だから和国にある天竺の山ということで竺和山という山号なんですね。

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重厚な山門。ここでお遍路は長い道中に思いを馳せます。

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境内にはお遍路グッズの売店があります。多くのお遍路さんはここで道具をそろえます。ここはコロナの渦中にあっても営業を続けています。

 

板東捕虜収容所跡地・撮影村

霊山寺から少し山側に入った場所に、日本だいきゅ初演の地である板東捕虜収容所の跡地があります。映画の撮影セットを保存した撮影村や、道の駅第九の郷もあります。

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日独友愛の碑

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捕虜が建築したアーチ橋

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当時の水タンク跡。水を汲んで下の浄水槽に貯水し、モーターでタンクに組み上げて、収容所に配水したらしい。モーターもそのままに残っている。

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道の駅第九の里、喫茶店ではドイツビールとホットドッグやスープが食べられます。でも地元の人たちはうどんしか頼んでいませんでした(笑)

 

札所二番 極楽寺(日照山無量寿院)

本尊 阿弥陀如来

霊山寺から歩いて三十分ほどで二番札所の極楽寺につきます。朱塗りの仁王門が印象的です。

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残念ながら宿坊は現在は営業していません。

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これは薬師堂です。右側の石段を登ります。

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小山を登ったところに本堂と大師堂があります。伝説では、お大師様が彫った阿弥陀像の光があまりにまぶしかったため、この山ができたことになっています。確かここに前は石が置いてあって、願いごとを頭に浮かべながら持ち上げて、楽に持ち上げればその願いは楽にかなう、重たければ努力が必要といういわれがあったはずですが、コロナ感染防止のため現在は非公開になっているようです。

 

第三番札所 金泉寺(亀光山釈迦院)

本尊 釈迦如来

極楽寺からやや歩いたところ、高徳線板野駅の北側に金泉寺はあります。この寺の裏には亀山という山があります。伝説では鎌倉時代の亀山法皇がここで祈ったことになっていますが、さすがにそれは信じられません。しかし、亀山神社・奥山神社という古い神社がありますので、古代からこの山は神格視されていたようです。

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金泉寺の伝説。泉と亀山が重要なキーになっているようです。源義経はここから大坂峠を越えて、讃岐の屋島(香川県高松市)に攻め込みました。高徳線が走っているルートを義経は駆け抜けました。義経の電撃的な進軍に平家は態勢を崩して、壇ノ浦に撤退します。この地域の武家にとって源氏に協力したのは重要なことだったようで、ルート上には義経や弁慶の伝説が多く残ります。さらに阿波の奥地には佐藤兄弟の末裔が移住した伝説も残っています。

 

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亀山神社。金泉寺の裏手にあります

 

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奥宮神社。高松自動車道が大きく北に曲がるあたり。

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奥宮神社の手水鉢の蛇口。ユーモラスな顔をしたお魚さんです。

 

大麻比古神社から札所一番~五番あたりまでは阿波国の板野郡です。奈良時代に板野郡から勝虞(勝悟)という高僧が出ました。天平四年(732)~弘仁二年(811)。凡直氏(粟国造)。法相宗の僧です。義淵ー神叡ー尊応ー勝虞ー護命という相承関係です。

義淵は阿刀氏ですので、弘法大師のお母さんの実家です。飛鳥時代から続く学者の家柄です。玄昉・行基・良弁の先生に当たります。元正・天武天皇の護持僧であったともいわれます。天武天皇の皇子と共に育ったという伝承がありますので、舎人か乳母子だったのかもしれません。

神叡も法相宗の僧で新羅に渡って学んだそうです。南山城の芳野の現光寺で庵を結んだとあります。自然智を得たとありますので、山岳で修行をしていたのではないかと考えられます。

勝虞の弟子護命は、最澄とは対立しましたが、空海とは親交がありました。空海は讃岐(香川県)の人で、母は阿刀氏でした。板野出身の勝虞と空海は交流があったと考えられます。空海が若い頃に平城京の大学を抜けて私度僧となり、山岳を修行してまわっていた際に、南山城の芳野の現光寺に行ったと考えるのも自然です。

八十八ヶ所が板野からスタートするのは、若き日の空海と法相宗のつながりによるものではないかと私には思えます。

※私は、歴史上の人物として語る際には「空海」と使い、信仰上の存在を語る際には「弘法大師」と呼ぶようにしています。あまり厳密な使い分けをしているわけでは無いですけれど…

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