長生きこそ勝利の秘訣
「天皇は妻の実家の意向に従う」、という命題よりもずっと確からしい命題があります。それは
「年長者は尊重されるべき」
です。知識があまりマニュアル化されていなかった時代には年長者が蓄えていた経験は誰にも侵すことのできない貴重な財産でした。また年長者であれば、当然広いコネクションを持ち、子孫も多く、強い影響力を発揮することができます。
やはり人間においても、いつの時代のどこの世界でも、長生きと子沢山は最終的勝利をもたらす十分条件です。
何故平安時代初期の天皇親政が崩れて摂関政治に道を譲ったのか、それはまず第一に仁明帝までは天皇が長命で、文徳帝と良房以降は天皇よりも藤原北家の方に長命の人物が続いたからです。実は良房以降も、宇多法皇のように長生きした天皇が現れた時は、天皇や上皇が藤原氏を凌ぐ権力を握っています。宇多法皇の執政は院政といっても良いものでした。
何故平安時代後期に院政が根付いたのか、白河院が誰よりも長生きだったからです。当時の主立った人物の生没年と享年を並べてみますと、
白河院は父の後三条院、弟の実仁親王・輔仁親王、息子の堀川院、摂関の藤原師実・師通よりもずっと長生きしています。大江匡房は白河院の側近です。
最後に出てくる忠実は更に長生きしていますが彼は白河院の子供の世代ですので完成した院政に振り回された側です。やはり忠実の晩年に摂関家は一時勢力を盛り返しています。
白河院と藤原忠実が平安時代の長生きの双璧といって良いと思いますが、ではここでこの二人の長命の遺伝子はどこから来たのか探ってみましょう。といっても厳密な話ではありません、この二人の長生きした祖先を辿っていくだけです。しかしそこには飛鳥時代から現代まで続く壮大なドラマが!?
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