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2006年5月13日 (土)

ゲームのルールができるまで(一)

陰暦 四月十六日 【望】

 何故摂関政治が崩れて院政が敷かれるようになったのか、これを誰にでも理解できるように簡明に説明した論文をまだ読んだことがありません。曰く、王朝国家体制が動揺して、荘園を財源とする権門体制に移行したから、曰く武士団を院がうまく支配下に収めたから、いくつかの説明がありますが、最高権力者が院(王家の家長)でなければならなかった理由を説明してはいません。
 私もアマチュアなりに考えてみましたが、結局摂関家が外戚ではなくなったからという昔からの説明に戻ってくるように思います。
 外祖父、外伯父、舅、順に母方のお祖父さん、伯父さん、妻の父となりますが、摂関になるために必要な地位です。妻の兄弟が入ることもあります。妻の実家の力とはそれほどまでに強かったのか、昔の人は一族の繋がりが強かった、昔の人は長幼の序をわきまえていた、感心感心、と納得してしまうのは簡単です。しかしここで思考停止してしまってよいものでしょうか?
 母の父、あるいは妻の父親に天皇が従うことは、昔の人にとっても決して自明なことではなかったのではないかと私は最近考えるようになりました。何を言いたいのか、要するにそれが権力闘争のルールになったから天皇をはじめとする宮中の人々が外戚を重視するようになったのではないかと私は思います。
 簡単に説明しますと、奈良時代における血で血を洗う権力闘争に飽いた貴族が、天皇の外戚になった人物にはまず無条件で権力を与えようという権力闘争の勝者を決めるルールを作り出して、権力争いを結婚と子育てのゲームに還元してしまったと言えます。
 最高権力者を昼のメロドラマの論理で決めるのか!といわれるかもしれませんが、とにかくルールがあるというのは大切なことです。ルールがないと、反対する奴を皆殺しにすることでしか言うことを聞かせられなくなります。結婚と子育てのゲームでともかくも上下関係を作る。そのあとで、裏から外祖父をコントロールするというのはありです。それどころか、天皇の外祖母と再婚して義理の外祖父になってしまうなんて言うミラクルな手法すらあります。大事なのはむき出しの武力を表に出さないことでした。
 天皇の外戚になることが権力闘争の勝敗を決するという命題が人工的なルールであれば、当然ルールができる前の世界もありましたし、ルールの不備を埋める努力も行われましたし、ルールの抜け道を使った人も存在しました。そしてこのルールが通用しない特異点とも言うべき人物が天皇になった瞬間、このルールは無効化されて摂関政治は終わったのでした。
 これからしばらく摂関政治と院政の盛衰を眺めていきましょう。

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