長生き遺伝子を探せ(一)・・・御堂流の栄華
陰暦 四月廿日
話の順序からは白河院の方を先に辿っていくべきなのでしょうが、忠実の方が遺伝関係が分かり易いのでこちらを先に説明します。藤原忠実の八十五才は、平安時代の公卿としてはおそらく最年長ではないかと思われます。
父の師通は三十七才、祖父の師実は六十才で薨去しています。それほど長命でもありません。しかし、驚くなかれ、忠実の生母藤原全子はなんと九十一才で天寿を全うしています。全子の父親俊家は六十三才ですが、祖父の頼宗は七十三才まで生きています。どうやら忠実の母方の系統は長生き遺伝子を持っていると言って良さそうです。
父方の方も、曾祖父まで辿ると長命の人物が続々と出てきます。曾祖父は頼通で享年は八十二才、頼通の弟教通は七十九才、そして頼通の姉がかの有名な上東門院彰子で彼女は八十六才まで生きています。
実は頼宗と頼通は異母兄弟に当たります。彼等の父親こそが藤原道長です。では道長が長命遺伝子の持ち主かというと、そうでもなく、彼は六十一才で亡くなっていますから取り立てて長命でもありません。
母親(則ち道長の妻)の方へ目を向けてみましょう。上東門院・頼通・教通の母親は源倫子です。倫子の享年はこれまたすごい、八十九才です。頼宗の母親源明子も八十才を超えています。揃いも揃って大変な長寿です。頼通・頼宗・全子・忠実の長命遺伝子は倫子、明子の二人に由来するといって良いでしょう。
倫子と明子の祖先を辿ると共通の人物にたどり着きます。
まず上東門院・頼通・教通の母の倫子ですが、倫子の父は宇多源氏の源雅信です。雅信がこれまた長命で七十三才です。雅信の父が敦実親王で七十四才です。この家系は間違いなく長生きの遺伝子を持っていると言ってよいでしょう。敦実親王の父は宇多院、母は藤原胤子です。
頼宗の母である明子の父親は安和の変で失脚した源高明です。高明は六十八才。このシリーズでは、取り敢えず七十才を超えたかどうかを長生きしたかどうかの基準にしています。けれども政変にあって太宰府に流されながら、生き延びて許されて京都まで戻ってから亡くなるという変転を経験しての六十八才ですから長生きといって良いでしょう。ストレスに強い家系なのでしょうか?高明の父親は醍醐院です。四十六才で崩御されています。ここで途切れてしまうのですが、長生き遺伝子も天神様の怨念にはかなわなかったと言うことにして例外扱いしまして、さらに遡ると醍醐院の父親は宇多院、母親は藤原胤子です。
ここで共通の祖先にたどり着きました。宇多院の享年は六十四才です。まあ、普通の長生きです。藤原胤子は四十〜五十才でなくなったと考えられますから、長生き遺伝子の持ち主は宇多院なのでしょうか?
忠実の父方の長生き遺伝子に着目した系譜
忠実の父方の長生き遺伝子に着目した系譜
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