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2006年8月14日 (月)

村田清風(五)…四白政策と越荷方

陰暦 七月廿一日

 倹約も大事ですが、倹約だけではなかなか財政の好転は望めません。出るを制した次は入りを増やさなければなりません。

 長州藩は元々殖産興業に積極的でした。これは司馬作品でも良く触れられている話ですが、毛利家は中国五カ国百五十万石(小早川家などの親藩も入れれば二百万石強!)から関ヶ原の責任を取らされて防長二カ国に押し込められました。そのため毛利家は大リストラの必要に迫られ、多くの武士が農民や商人となり殖産興業に勤めました。

 この話は司馬先生の誇張ではなく「毛利重就」「村田清風入門」でも書いてありました。このようないきさつがあるため、長州は武士と町人の間の階級的な行き来が活発でした。武士もあまり商賈に対して偏見を持っていなかったのです。功労として武士が開拓予定地を賜り、新田開発を行ったりしています。

 殖産興業は「撫育方」でも触れたように、毛利重就が力を入れていましたが、村田清風も殖産興業の強化を行います。当時の長州の名産品は紙蝋米塩(しろうべえ)と呼ばれていました。楮(こうぞ)から作られる和紙、櫨(はぜ)から作られる蝋、遠浅の海岸を干拓して作った水田で収穫される米、そしてこれもまた瀬戸内海の静かな海で作られる塩です。四つとも白いので歴史学ではこれらの生産強化を「四白政策」と呼んでいます。

 楮は藩が金を出して植林が推進されました。櫨の植林も奨励されました。藩士は庭にまで植えることが命じられました。米も藩士にボーナスとして荒れ地の開拓権を与える形で開拓を奨励しました。ただしこれは半ば成功半ば失敗で、開拓というのは零細経営では失敗するものでして、後で藩が開拓権を買い上げて大規模開拓をする形に変わっていきます。山口県だけで80万石もの米を生産していたのですから驚きです。

 塩は瀬戸内海全域で塩田が作られたために生産過剰になって一時期暴落します。そのため生産調整がされるようになって値が持ち直したそうです。いわゆるカルテルですが、瀬戸内海全域の藩と生産者、農民を巻き込んだ大カルテルです。江戸時代ってすごいですね。こういう経済のダイナミズムがあったことを知ると、江戸時代のいわゆる「隠密」なるもの、もしかして企業スパイみたいなものではなかったろうかと考えたくなってきます。

 殖産興業の中で村田清風最大の業績は、藩の専売制を已めて村役人層に自由売買の権限を与えたことにあります。藩は商人から売上税のようなものを徴収することにしました。これによって、市場をよく知らない武士が低い値で特産品を売ることもなくなり、販売権が与えられたことで農民の利益も増えるので生産意欲の刺激にもなりました。ここら辺、奄美大島の島民の生活をコルホーズ並みに管理してサトウキビの生産統制を行った薩摩藩との違いが出ています。薩摩藩のサトウキビ政策のすさまじさと長州藩とは違った意味での近代的先取性についてもいずれ。

 生産拡大だけではなく、先進生産地から講師を呼んだりして品質向上にも努めたのは言うまでもありません。

 紙蝋米塩以外の特産品作りも奨励されました、「一村一品運動」の走りといえるかもしれません。副業に補助金も出しました。干し柿、干し大根、干し鮎、塩鮎、干しイカ、干しフグ、干し海鼠、干し鯖、干し鰯、鯨肉の塩漬け・みそ漬け・粕漬けフナの塩漬けなどの水産加工品に於いては大阪町人の人気を独占していました。他にも舟木櫛、赤間硯、蒲鉾、砂糖、石材なども有名でした。

 また、清風は越荷方貿易を始めます。当時は保存技術が進んでいませんでしたので、時期によって物資の価格が今よりも激しく変動しました。清風はそこに目をつけ、瀬戸内海と日本海の結節点である下関で藩営の倉庫業を始めたのです。商人は下関の倉庫に商品を預けます。そして市場価格が上昇する時に倉庫から出して売るわけです。

 別に下関じゃなくても大阪で良いではないかと思うかもしれません。しかし下関には、九州・日本海側・瀬戸内などの中心にあったので、どこにでもすぐに商品を運べるという利点がありました。市場価格は激しく変動します。あまり運搬に時間をかけすぎると時機を逸しますし、荷が傷みます。昔の船は木製ですから、水に漬かっていて湿気が常に高い船底というのは船荷が腐りやすかったのですね。船底はひどい匂いがしたといわれています。

 越荷方は大成功しました。倉庫を維持するだけなので世間知らずの武士でも可能です。売る時期は商人が考えてくれます。幕末に高杉晋作を支えた白石正一郎は、この時に清風から越荷方の運営を任された商人の一人です。白石正一郎にとっては、藩から戴いたお金を凡て藩にお返ししたつもりだったのでしょう。

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