« 2006年9月 | トップページ | 2006年11月 »

2006年10月29日 (日)

大原神社参拝記

陰暦 九月八日

 週末に房総へ旅行へ行ってきました。

 昼は上総亀山の手前の平山駅前の焼きそば屋で食いました。ただのソース焼きそばなんですが、これがしみじみとうまい。山奥だというのに、入れ替わり立ち替わり客が来て、テイクアウトも入れれば一時間のうちに二十人くらい入っていました。繁盛しているみたいです。亀山駅のタクシーの運ちゃんの話によると、先代のお祖父さんの時はもっと美味しかったそうです。

 平山駅で時間が余ったので、近くを散策しました。駅の近くにこんもりとした鎮守の杜があります。大原神社というそうです。手水鉢にトノサマガエルが、本殿には沢蟹がいました。周囲の田んぼから、霧雨に誘われてお参りに来たようです。雨蛙やバッタもいて、自然豊かな農村でした。

 大原神社は古くからの鎮守らしく、室町時代に春日大社から天兒屋命と天太玉命を勧進したと言うことです。しかし神社自体はそれのずっと前の古代からあったらしい。私の勘からしてもこの神社はかなり古そうな気がします。もしかしたら大織冠(中臣鎌足)の故地だったりして(大織冠は飛鳥の"大原"生まれです)。

 ちなみに近くの小櫃には大友皇子が落ち延びてきたという伝説があるとか。また、久留里には前方後円墳が複数あります。この地域には古くからの國造がいて、もしかして壬申の乱で近江方に付いたのかもしれません。あるいは大織冠の縁者が大友皇子の妃になっていますので、その妃が落とし種と一緒に落ち延びてここに匿われたのかもしれません。

 平山は上総國ですがすぐ南は安房國になります。神話では、忌部氏は神武天皇の命令を受けてまず四国に移住し、更に黒潮に乗って房総半島にも移住したことになっています。だから"あわのくに"が二つできたそうです。佐多岬も各地にありますし、離れた場所に同じ氏族が住むのもあり得ることかもしれません。前日に上った富山(とみさん)には金比羅神社の参拝碑がありました。地元の人が四国の金比羅さんにお参りしたのを記念して立てたらしい。

 まあカエルやカニがいたということは湧き水があって周囲の田畑の水源となっていて、水神を祀るための祠が建てられたと言うことになるのでしょう。大原・久留里・小櫃は古代史のちょっとした穴場でで、ここに集まる伝説や遺跡を題材にすれば、面白い物語が描けそうな気がしてきました。特に立派な建物とか絵馬が残っているわけでもない一見なんの変哲もない神社ですが、どこかインスピレーションを駆られるものがありました。

2006年10月22日 (日)

岳飛、謝枋得

陰暦 九月朔日 【鞍馬の火祭】

 今度は北朝鮮の出方を考えてみます。

 朝鮮の王朝では代々、支那の力を借りようとする勢力と日本(戦後なら米国)の力を借りようとする勢力がせめぎ合ってきました。今の北朝鮮でも、中共の傘下に入ろうとする(入る続けようとする?)勢力と米国の傘下に入ろうとする勢力が権力闘争を続けているはずです。

 北朝鮮のインフラは破綻しており、支那の経済発展で経済は持ち直したものの、中共頼みの態勢が強化されたといえます。日米韓ともに重い負担となる北朝鮮復興を背負い込むことを嫌がり、今や日本人だけでなく韓国人の間にすら、北朝鮮は中共に押しつけてしまえという意見が強まっています。従って、北朝鮮では中共の庇護を受けるべきという勢力が強まっているはずです。

 しかし金正日は国を作った金日成の息子です。金正日はろくでなしですが、けれども曲がりなりにも儒教(日本人がイメージする儒教と本場の儒教はちょっと違うので注意が必要)の文化の中で育った人物ですから、父親が作った国を中共に売り渡したいとは絶対に思わないはずです。金正日は独立派でしょう。

 金正日が恐れているのは、事大派(中共派)が金正日から実権を奪って、中共の官僚や軍人を引き入れることです。その場合金正日は良くて亡命という名の国外追放、悪ければ殺害されます。しかし何よりも彼にとって許せないのは父親が作った国が滅びることに他なりません。

 北朝鮮が外部に対して軍事行動を起こすとしたら、中共によって独立が侵される危険が高まった時です。

 では日本は安全かというと、そうではありません。

(1)まず、日本政府が中共による北朝鮮併合を承認するかのような見解を出せば、北朝鮮の理屈では「日本が独立を侵害した」事になりますから、ミサイルを撃つかテロを起こすはずです。迷惑ですが、彼等の理屈ではそうなります。

(2)また、人民解放軍が「北朝鮮の危機演出ははったりだ」という見方に傾けば、本気度を見せるためにやはり日本を攻撃する可能性がある。

(3)あるいは、人民解放軍の進駐が避けられない情勢になった場合、日本に対して宣戦布告して北朝鮮対日米という戦争にしてしまう事も考えられます。日米と戦争を続けている限り北朝鮮という国家はなくならない、という理屈が成立するからです。その場合人民解放軍は北朝鮮を助ける友軍となり、進駐軍ではなくなります。友軍が助けに来た国家を滅ぼすことはできないからです。強盗が襲ってきたから、ヤクザに喧嘩を売って、強盗と一緒にヤクザと戦うことで、強盗から命を守るという作戦です。

(4)最後の可能性として、一旦水面下で人民解放軍の進駐を受け入れておきながら、国境を越えた後に「中共による侵略」を国連へ訴えて、米国にすがりつくことも考えられます。その場合、人民解放軍に北朝鮮は戦いを挑むでしょう。これが多分米国にとって一番厄介な展開です。そして、日本には北朝鮮ではなくて中共のミサイルが飛んできます。

 というわけで日本が非常に危ない状況にあることにはかわりがありません。日本が取るべき態度は、日清・日露戦争の時と一緒で、北朝鮮を国家として認め続けて、支那が勝手に消さないように目を光らせること、となります。

 つまりこれこそが金正日が小泉総理との会談で日本から引き出そうとした保証であります。では日本として具体的に何をするべきかというと「平壌宣言は生きている」とひたすら言うことになろうかと思います。「国家として認める」とまでいく必要はありません。それは北朝鮮へのサービス過剰です。「北朝鮮は交渉相手だよ」と言い続けるだけでいいと思います。

 中共には北朝鮮問題解決のために努力してもらいたいのですが、日本政府としてあまり中共に期待するかのような見解を出してしまうと、北朝鮮は「日本は我々を中共に売り渡した」勘繰りかねません。日本の政治家には、言葉に細心の注意を払って頂きたいです。

2006年10月21日 (土)

只より高い物はない

陰暦 八月晦日

昨日から土用に入りました。そろそろ冬です。

 東亜のエンガチョ北朝鮮。中共が接収してくれることが一番手っ取り早い解決方法だというのが衆目の一致する所ですが、手を出す気配がない。

 世界中から侵略オッケーのお墨付きをもらえるなんて前代未聞の椿事。しかしさすがは中共、それがトロイの木馬だと知っているから手を出しかねているのでしょう。

 朝鮮半島に手を出した王朝は左前になるというのは、支那の歴史法則みたいな物です。隋、明、清は日本と朝鮮半島の取り合いをしたのがきっかけとなって滅びました。日本でも大陸に手を出した権力者は必ず滅びます。大伴氏、上宮王家、天武持統朝、平家、源実朝、足利義満、豊臣秀吉、帝国陸軍、竹下派。

 では東アジアが安定した時代はいつだったのでしょうか。日本で言えば奈良時代から平安時代前期と江戸時代。支那で言えば唐と清の時代です。朝鮮では統一新羅、李氏朝鮮の時代にあたります。これらの時代に共通するのは、

    (1)三国がそれぞれ統一されて安定していた


    (2)満洲が緩衝地帯となっていた(平安時代には渤海があり、清の時代には満洲は王朝発祥の地として聖域扱いだった)


    (3)日本と支那が政治的には相互不干渉で、貿易は活発であった。(聖武天皇と称徳天皇はちょっと例外なのですが取り敢えず無視する)

 日本として気をつけなければいけない点は、支那や朝鮮が弱体化することが必ずしも日本の利益にはなっていない点です。日本・支那・朝鮮に強力な統一政権が出来、日本と支那両国が十分な軍備を持って対峙している状態になって初めて東亜は安定します。江戸時代の日本の兵力はスペインも一目置いたほどですし、奈良時代の日本には明治以前で唯一の国軍がありました。唐と清が支那の王朝の中で最大の版図を持っていたのはご存じの通り。モンゴルは世界帝国なので支那の王朝には数えるべきではありません。

 反対に、支那と朝鮮が弱体化すると、東シナ海で海賊が跋扈するようになり、東亜は不安定になります。事大物博といいながらも、華南は食糧が生産できないので貿易をしないと生活できませんし、沿岸部の水路網が破壊されると江南の食糧が華北へ行かなくなりますので、華北は飢餓状態となり、江南を略奪せざるを得なくなります。日本では朝鮮半島や支那大陸を侵略するべきだという声が高まります。支那と朝鮮が弱体化しても良いことなんか今までありませんでした。

 もう一つ見過ごされがちなのは、満洲が緩衝地帯になっていること。唐と統一新羅の時代には渤海という王朝があって、満洲と今のロシア沿海州を治めていました。日本とは良好な関係を保ち、日本海貿易が活発であったと言います。清の時代には、満洲は王朝発祥の地として、漢人の入境が禁止されていました(19世紀になると有名無実化します)。今で言うならば非武装中立地帯だったわけです。東亜の安定のためには、日本にも支那にも与しない満洲というのが不可欠です。

 本来ならここで沖縄の地位を分析するべきなのですが、これは今後の研究課題とします。

 私は、北朝鮮が危機を演出する真の目的は、中共からの独立にあると考えています。北朝鮮のミサイルと核は、もちろん第一に日本を狙っていますが、支那も狙っています。北朝鮮国内では中共との合併を望む勢力と独立維持を目指す勢力がせめぎ合っているのでしょう。独立派は始め日本の庇護を受けようとして小泉ー金会談をセッティングしましたが、多分北朝鮮に深くコミットすることの危険性を察知した首相官邸が拉致問題をクローズアップしたためにこれは凍結されました。賢い選択であったと思います。

 そこで北朝鮮は米国の庇護を求める方向に転換します。北朝鮮が米朝二国間協議に固執するのは、米国の保護下に入って中共から独立したいからです。しかし共和党政権は伝統的に東亜には不干渉ですので、避けています。

 心配なのは、中間選挙で下院で民主党が多数となり、08年の大統領選挙でも民主党が勝利することが濃厚な状勢にあることです。民主党は東亜で積極策をとりますので、急転直下、北朝鮮が米国の保護国となり、米軍基地が北朝鮮にできるかもしれません。その場合、米支の対立は一気に高まります。これが米支の協調を呼び込むのか、北朝鮮に米国が進駐する前に、中共に北朝鮮侵攻を決断させるかはわかりません。

 今後あり得る展開は08年を基準として
(A)アメリカで共和党政権が持続
(B)アメリカに民主党政権が誕生

 (A)の場合、東亜では今の状態が継続。(B)の場合米朝同盟が締結される可能性が高い。

 これに対する中共の対策は、(B)となると、首都北京の喉元に米軍基地ができるので容認しがたいため、そうなる前に北朝鮮を併合。となる可能性がある。

 (A)か(B)かを見極めるためには中間選挙を待たなければならない。というわけで中共の次の一手は米国の中間選挙の結果を見てからになるはずです。中間選挙で民主党が勝てば中共は北朝鮮と積極的な接触を持って、北朝鮮問題を08年までに解決させようと努力するようになります。

 米国は、中共の折衝が成功すれば大歓迎。失敗したとしても、08年以降に北朝鮮が手に入る可能性が高まります。ですから中共の努力を高見の見物となります。08年までは米国は朝鮮半島に対しては何もしません。従って、

(C)中共の折衝が成功して北朝鮮が中共の保護国となれば韓国から撤退、玄界灘が前線となる。
(D)折衝が失敗したら、08年以降は米国は北朝鮮の保護国化のために動き始めます。

 日本としてやるべき事は、防衛力を強めることに尽きます。海軍力と空軍力を高めるべきです。陸軍兵力は水際撃退を第一にするべき。陸軍増強無しの、攻撃力増強ならば、外国を侵略することは不可能ですので、諸外国にも受け入れられます。中共も、表向きは非難するでしょうが、妨害にはでないでしょう。

 軍隊というとどうしても、敵から地面をふんだくる集団というイメージがありますが、本当は破壊力という国家インフラなんですね。いざというときに敵を破壊する能力なのです。現代にはミサイルや爆撃機や潜水艦という便利な道具がありますので、兵隊さんを送ることなしに、敵を破壊できます。戦艦を敵の領海まで送り込む必要すらありません。敵地を侵略することなしに敵を破壊することが可能です。

 そして、朝鮮半島に手を出すとろくな事がないので、これについては米国のサポートに徹する。しかし台湾は絶対に確保する。台湾との外交・国防の交流を深化させなければなりません。日本と台湾の連携が強まれば、中共は(そして米国も)決して変な動きはしなくなるでしょう。

 台湾の独立派との連携を強めることはもちろんですが、国民党が中共に擦り寄らないように、国民党を援助することも必要でしょう。一番良いのは自民党が独立派を助けて、(日本)民主党が国民党を助けるという態勢を作り出すことです。そして日台の官僚(含:軍人)の間では着々と連携を深めて実務のレベルでは台湾は日本無しには動かない状態を作るべきです。

2006年10月20日 (金)

アメリカの国体問題

悪戯トラックバックが多いので位置をずらします。

 古新聞になってしまいましたが、英国の国体問題に続いて米国の国体問題についてのThe Economist 6月15日〜21日号の記事の訳文を紹介します。

 3,000億ドルの高速道路予算、あるいはアフガニスタンやイラクに派遣されている総督達がやるべき仕事に関する見識を表明する世界最強の国家の立法の心臓部はひどい混乱状態に陥っている。米議会も草創期から不祥事にはこと欠かなかった(ジェファーソンは不正蓄財をしていたしジョン・ドリトルは妻の使い込みを許可していた)しかし現在の問題はもっと深刻な腐った林檎についてである。この枝の腐った林檎はいずれ木の全ての実を腐らせるかもしれない。
 米議会(congress)の創建者たちは、それが巨大で多様な国家の最高機関たることを望んでいた。彼らは議会が行政を監視する役割を果たすことを期待してた。しかしブッシュ政権においてその機能は緩められている。議会のメンバーは大統領のスタッフが作った法案を成立させることを使命と心得ている。薬価法?では審議時間が三時間にならない内に共和党の代議士は採決を提案した。
 米議会は行政のコントロールだけではなく、自己のコントロールにも失敗している。会議の開催時間は60〜70年代には年323日であったが今では250日まで短縮されている。働いているとしても鼾をかきながら。その鼾かき達は13,997のプロジェクト、2,750億ドル及びカトリーナとイラク戦争の特別予算1,800万ドルの審議をしている。
 立法府の怠慢はいい加減な法となって現れている。薬価法で保証のない数十億ドルを計上した。高速道路では存在しない橋のために2.2億ドルを計上した。議会がきちんと機能していればブッシュ大統領はあのような杜撰な計画のままイラクに攻め込もうとしただろうか。国家安全保障省があのような人災(ハリケーンカトリーナ)を発生させただろうか。

 政治システムが正常に機能していると考える米国人は今や30%しかいないという世論調査結果がある。

米政界通のメッサーズマンとオースティングスによると米議会の機能不全の原因は三つあるという。

(一) 強力な国家、共和党を背景にして誇り高すぎる大統領。行政府の憲法に対する限定的?な姿勢。
(二) 薄氷の多数を維持している共和党の「どんなことをしてでも勝とう」と言う姿勢
(三) 911事件以来戦争状態で大統領に戦争遂行のために強い権限が与えられている

 結果としてマディソニアンのチェックアンドバランスシステムは、議院内閣制(parliament)に 近いシステムに変容してしまった。
 壊れた国家の枝を治すためには議会のメンバーの自浄作用に期待するしかない。共和党ながらグアンダナモ収容所やイラク戦争で政権に対して厳しい目を向ける動きが出てきているのは良い兆しではないだろうか。

(以下感想)

 立憲君主国家における議院内閣制、そこではいったん総理大臣に選ばれてしまえば、結局は行政府が立法府に優越してしまうわけですが、とは違って三権がはっきりと独立している自国の制度に米国人は誇りを持っているようです。
 処理する仕事が増えすぎると、議会は機能不全になる傾向があります。ローマ帝国の元老院はトップダウンの帝政に取って替わられてしまいました。遠くで行われている出来事を時間をかけて審議するのが非効率になってくるからです。それよりは審議はしないで決められた方針通りに業務を次々と処理してくれる官僚機構のほうが効率的であるのですね。あくまで効率的だというだけですが。

 また、ブッシュ政権のあまりの低支持率が問題になっていますが、これも行政府だけではなく、立法府も含めた(司法のことは情報がないので知りませんが)政治システム全体への米国民の不信表明なのかもしれません。と考えると事は深刻で、イラクで戦争に勝てば解決という物ではないかもしれない。
 若い国とはいえ、近代国家としては米国は世界最古の国の一つです。米国も大幅な改革が求められる時代になったのかもしれません。

(2006/10/9)一部加筆。

2006年10月15日 (日)

南海の斎藤道三(三)

陰暦 八月廿四日 【新宮熊野速玉大社祭】【天理石上神宮例祭】【姫路喧嘩祭】

 十月に入ったにもかかわらず二十五度近い日が続いています。でも旧暦だと今年は閏月が入ったのでまだ八月、ということはお彼岸と同じくらいの暑さでもおかしくはないことになります。旧暦は良くできている。

さて

 もうちょっと調べてみた所、伊作忠良の祖父の久逸は一応相州家の出ということになっているみたいです。

 しかし、wikipediaの記事を信用すると、久逸の経歴は

相州家→伊作家→伊東氏被官→相州家と戦→相州家に敗北→伊作家

 ということになってはっきりいって変です。伊東氏の被官よりも伊作家当主の方が上のはずなのに何で「伊作家に帰ってこい」という相州家からの呼び かけを拒否して伊東氏と一緒に伊作・相州連合軍と戦わなければならないんだ?これは久逸には、本来は伊作家を継承する権利がなかったのに、伊東氏と一緒に 島津と戦って伊作家を乗っ取ったと考えた方が自然ではないのか?

 しかも、子供の善久は30くらいで下男に殺害されており、数年後に久逸も戦死している。そして善久の未亡人が子供(忠良)が相州家を継承するとい う条件で、相州家の島津運久に嫁入りして、忠良が成長してめでたく相州家を嗣いだとなっていて、話が出来すぎではないのか?素直に信じる気にはあまりなれない。しかも忠良は途中まで寺の小僧だったというではないか、これではますます斎藤道三である。

 きっと忠良の母 親というのが鍵なんだろうな。実家が富裕な土豪で零落していた島津家が争って嫁に引き込んだのだろう。忠良が善久の落とし胤というのも、丁度忠良が生まれたころに伊作家が断絶したのを利用した後付だろう。ていうか善久を撲殺した下男が忠良の実父なんだろう、話の筋から言うと。密通がばれた間男が旦那(善久)を殺したんだな。それで不義の子である忠良は寺に預けられたけれど、実力で島津家を乗っ取ったのだろう。

 というわけで伊作久逸ー善久ー忠良は島津家かどうかすら怪しいので、忠良が南海の斎藤道三という主張はそのままにしておきます。

私が作った系図。(検証はしていないので半分飛んでもです)

伊作教久(伊作家断絶)


伊作久逸(伊東氏被官?)

善久←無関係→○=女=島津運久
        |
        伊作忠良
        |
        島津貴久
        |
        島津義久、義弘

 応仁の乱後の世界というのは想像以上に無秩序だったのかもしれません。守護や守護代は名跡は続いているものの、血縁関係は滅茶苦茶みたいです。司馬遼太郎の「国盗り物語」よりももっとアナーキーだったのではなかろうか。織田信長の織田家も、実は斎部氏で、守護代の被官の織田家を乗っ取ったらしいし。斎藤道三や伊作忠良を主人公にした冒険活劇なんか作ったら面白いかもしれませんね。

2006年10月12日 (木)

南海の斎藤道三(二)

 文章だけではわかりにくいと思いましたので、系図を作りました。

島津家略系図

 このくらい遠縁が守護大名家を嗣ぐのは戦国末期では珍しいことではありません。長尾輝虎(上杉謙信)に関東管領を譲った上杉憲政は扇ヶ谷家の傍流ですので山内家からはかなり離れていますし、細川藤孝(幽斎)は傍流の和泉守護家から公家の三淵家に養子に入って戻っています。

2006年10月 9日 (月)

"核"実験だとか・・・

 地球の核を探るためのダイナマイトによる人工地震の実験というオチだったりして(笑)

地球の核(コア)wikipedia

女体の神秘

 といっても、いかがわしい話ではありません。どうして皇室で今まで女の子ばかり生まれてきたのかの統計的?な考察。

 皇室では、秋篠宮様がお生まれになって以来40年間、子供が9人連続女の子という不思議な現象が起こりました。嫁がれたお妃型はさぞや苦労が絶えなかったことかと思います。ある一族、しかも5組の夫婦の間で、40年間も女しか生まれないなんて事があるのでしょうか。

 そこで皇居(+赤坂離宮)という限られた空観の中での男女数を考えてみました。男性皇族は、ずっと皇族のままなので、亡くならない限り皇居から退出しません。それに対して女性皇族は御降嫁(臣籍男性への嫁入り)によって皇居から退出します。

 私は考えました「もしかして今までの9人連続は、外へお嫁にいった昭和天皇と三笠宮の娘の補充であって、皇居内の男女比はずっと1.0のままだったのではないか?」

 論より証拠、まず数を見てください
皇族男女数
 女性皇族(赤色)だけ見ると戦後一貫して増えていますが、それを内親王・女王(黄色)と后妃(緑色)に分けてみると、あら不思議、男性皇族(青色)と内親王・女王と后妃の数は同じになるように動いています。

 スタート地点ではこの3者の数はほぼ同じでした。しかし、昭和天皇と三笠宮の内親王の退出によって、1960年代まで内親王・女王は減り続けます。それに対して男性皇族は三笠宮の親王および春宮・秋篠宮の誕生によって増え続けます。結果、皇居の中は男性過多の状態となりました。

 1980年代から内親王・女王の補給が始まります。男性過多の環境に置かれたお妃たちは、せっせと女の子を増やして、皇居という環境の男女比を1.0に近づけたのでした。
皇室男女比(男性皇族/内親王・女王)

 お妃たちは「男女比5」という不自然な状態にあった皇居という環境を必死になって正常化していただけなんですね。これぞ女体の神秘!

 秋篠宮家に悠仁親王がお生まれになったのは、眞子内親王・佳子内親王・敬宮様の誕生及び高円宮の薨去によって男女比が女性側に偏りすぎたために、親王の補給が行われたと言えます。

 というわけで、これからも親王を増やすためには・・・内親王・女王を皇居から退出させてはならない・・・ということになり、女系反対としては困った結論になってしまった(^^;

 おそらく、お妃様方が皇居(+赤坂離宮)という狭い環境の中にばかりいて外部とのふれあいが足りないことに問題があるのでしょう。もうちょっと、旧宮家や実家との臣籍づきあいを増やして、一族の範囲を広くとらえれるようになれば、このような現象は今後は発生しなるのではないでしょうか。

注1)天皇を男性皇族に含めています(法律上は天皇は皇族ではない)。
注2)香淳皇后は久邇宮家出身ですので、内親王・女王に含めています。

2006年10月 8日 (日)

南海の斎藤道三

 最近読んだ「守護・戦国大名事典」(東京堂出版、西ヶ谷恭弘 編)に書いてあったんですが、戦国大名の島津氏と御家人の島津氏はほとんど無関係らしい。

 これによると、鎌倉末期に島津久経の子供の久長が伊作氏を名乗り(ッていうかこれって承久の乱で宮方について九州に流された奥州伊達氏の本家の伊佐氏では!?)、その七代目の伊作忠良が相州島津家の養子に入り、更に子供の貴久が本家の奥州島津家の養子に入り(乗っ取り?)、奥州島津家の係累をやっつけてのし上がったというのが史実らしい。

 なんだこれじゃあ親子二代で守護代の斉藤家を乗っ取った斎藤道三と一緒じゃん!

 室町時代の島津家というのは内紛を繰り返していて、かなり混乱状態にあったらしい。島津家同士で殺し合いをし、どうしようもなくなって、いつの間にか分家の分家から出た貴久が本家を嗣いでいたと言うことだとか。

 しかし貴久とその子供の義久・義弘兄弟が希代の傑物で、南九州に覇を唱える大大名となり南海の雄近世島津氏を作ったとのこと。御家人の島津氏と近世の島津氏はほとんど別物と考えた方が良いみたいです。

 島津氏も下克上とは無縁ではなかったのですね。あと島津氏は源頼朝の御落胤という家系伝説をもっていますが、実際は惟宗氏だそうですから対馬の宗氏と遠い親戚と言うことになります。

« 2006年9月 | トップページ | 2006年11月 »

2017年9月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
無料ブログはココログ