2023年10月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ

« 南海の斎藤道三 | トップページ | "核"実験だとか・・・ »

2006年10月 9日 (月)

女体の神秘

 といっても、いかがわしい話ではありません。どうして皇室で今まで女の子ばかり生まれてきたのかの統計的?な考察。

 皇室では、秋篠宮様がお生まれになって以来40年間、子供が9人連続女の子という不思議な現象が起こりました。嫁がれたお妃型はさぞや苦労が絶えなかったことかと思います。ある一族、しかも5組の夫婦の間で、40年間も女しか生まれないなんて事があるのでしょうか。

 そこで皇居(+赤坂離宮)という限られた空観の中での男女数を考えてみました。男性皇族は、ずっと皇族のままなので、亡くならない限り皇居から退出しません。それに対して女性皇族は御降嫁(臣籍男性への嫁入り)によって皇居から退出します。

 私は考えました「もしかして今までの9人連続は、外へお嫁にいった昭和天皇と三笠宮の娘の補充であって、皇居内の男女比はずっと1.0のままだったのではないか?」

 論より証拠、まず数を見てください
皇族男女数
 女性皇族(赤色)だけ見ると戦後一貫して増えていますが、それを内親王・女王(黄色)と后妃(緑色)に分けてみると、あら不思議、男性皇族(青色)と内親王・女王と后妃の数は同じになるように動いています。

 スタート地点ではこの3者の数はほぼ同じでした。しかし、昭和天皇と三笠宮の内親王の退出によって、1960年代まで内親王・女王は減り続けます。それに対して男性皇族は三笠宮の親王および春宮・秋篠宮の誕生によって増え続けます。結果、皇居の中は男性過多の状態となりました。

 1980年代から内親王・女王の補給が始まります。男性過多の環境に置かれたお妃たちは、せっせと女の子を増やして、皇居という環境の男女比を1.0に近づけたのでした。
皇室男女比(男性皇族/内親王・女王)

 お妃たちは「男女比5」という不自然な状態にあった皇居という環境を必死になって正常化していただけなんですね。これぞ女体の神秘!

 秋篠宮家に悠仁親王がお生まれになったのは、眞子内親王・佳子内親王・敬宮様の誕生及び高円宮の薨去によって男女比が女性側に偏りすぎたために、親王の補給が行われたと言えます。

 というわけで、これからも親王を増やすためには・・・内親王・女王を皇居から退出させてはならない・・・ということになり、女系反対としては困った結論になってしまった(^^;

 おそらく、お妃様方が皇居(+赤坂離宮)という狭い環境の中にばかりいて外部とのふれあいが足りないことに問題があるのでしょう。もうちょっと、旧宮家や実家との臣籍づきあいを増やして、一族の範囲を広くとらえれるようになれば、このような現象は今後は発生しなるのではないでしょうか。

注1)天皇を男性皇族に含めています(法律上は天皇は皇族ではない)。
注2)香淳皇后は久邇宮家出身ですので、内親王・女王に含めています。

« 南海の斎藤道三 | トップページ | "核"実験だとか・・・ »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

>これからも親王を増やすためには・・・内親王・女王を
>皇居から退出させてはならない・・・
>ということになり、女系反対としては困った結論に
>なってしまった(^^;

現状では妥当な結論だと思います。
現行法のままでは数十年後は悠仁様の家系の方しか
いなくなります。

旧宮家復活させても、そこの家が
女の子しか、あるいは全く子供ができない
ケースも考えられます。

安定的に後継者を出す方法としては、
女系容認が一番だと思います。

根本的に男系維持するなら、側室制度が
不可欠だと思いますが、国民の理解は
難しいでしょう。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 女体の神秘:

« 南海の斎藤道三 | トップページ | "核"実験だとか・・・ »