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2006年10月 8日 (日)

南海の斎藤道三

 最近読んだ「守護・戦国大名事典」(東京堂出版、西ヶ谷恭弘 編)に書いてあったんですが、戦国大名の島津氏と御家人の島津氏はほとんど無関係らしい。

 これによると、鎌倉末期に島津久経の子供の久長が伊作氏を名乗り(ッていうかこれって承久の乱で宮方について九州に流された奥州伊達氏の本家の伊佐氏では!?)、その七代目の伊作忠良が相州島津家の養子に入り、更に子供の貴久が本家の奥州島津家の養子に入り(乗っ取り?)、奥州島津家の係累をやっつけてのし上がったというのが史実らしい。

 なんだこれじゃあ親子二代で守護代の斉藤家を乗っ取った斎藤道三と一緒じゃん!

 室町時代の島津家というのは内紛を繰り返していて、かなり混乱状態にあったらしい。島津家同士で殺し合いをし、どうしようもなくなって、いつの間にか分家の分家から出た貴久が本家を嗣いでいたと言うことだとか。

 しかし貴久とその子供の義久・義弘兄弟が希代の傑物で、南九州に覇を唱える大大名となり南海の雄近世島津氏を作ったとのこと。御家人の島津氏と近世の島津氏はほとんど別物と考えた方が良いみたいです。

 島津氏も下克上とは無縁ではなかったのですね。あと島津氏は源頼朝の御落胤という家系伝説をもっていますが、実際は惟宗氏だそうですから対馬の宗氏と遠い親戚と言うことになります。

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