一般参賀
陰暦 十一月五日 【納めの地蔵】
たまにはブログらしく日記調に。
昨日は天長節でした。かつ土曜日。私の職場は国民の休日が休みにならないので、こういう機会でもないと一般参賀に行くことができません。そこでいつもの土曜日より早めに起きて(といっても八時過ぎでしたが・・・)宮城まで行って参りました。
空は見事な天皇晴れ。さすが江戸城、東京の真ん中にこんな広い空間があったのですね、びっくりです。丸の内口から延々1km近く歩くうちに汗ばんできました。
丁度「幕末閣僚伝」という本を読んだ所だったので、ここが桜田門でここが坂下門、ここら辺で安藤信睦が遭難したのか、ということは浪士はどうやって日比谷壕を突破したのかな?江戸城の警備はいい加減だったのだろうか?なんてことを考えながら奥へ進みました。
今日は土曜と言うこともあり、警備の発表では二万人超で平成になって天皇誕生日としては最大の人出だったそうです。といっても陛下は五回お出ましになるのでその合計です。単純に五で割るとあの場に四千人いたことになりますが、宮殿前広場が広かったせいか、それほどの混雑もなく、陛下と皇族方を良く見ることができました。私は三回目の出御を拝観いたしました。
次に折角ですから本丸公園を散策、お土産屋さんで「江戸城の昔と今」「江戸城本丸詳図」「江戸(嘉永)時代ー大名紋章城郭図」を買いました。なかなかの資料です。
ところでなんで西ノ丸が宮殿になって本丸は公園になったのか、普通は逆じゃないの?というと、本丸は幕末に火事で焼けて、明治帝が入城され時には西ノ丸しか建物がなかったからなのだそうです。今の宮城の状況は結構偶然の産物である模様。
そのあと八重洲ブックセンターで「荀子(上)」と「赤松円心・満祐」「三好長慶」(人物叢書)、「国債の歴史」を買いました。本当は「ローマ人の物語」の最終巻を買うつもりだったのですが、人物叢書の復刊シリーズに心を奪われました。「ローマ人」の方は日本中の本屋で買えますからね。
続いて渋谷に行って「ふしぎ星のふたご姫GYU!」というアニメの宣伝バスを探したのですが、小一時間張っても来ませんでした。もう期間が終了していたのかもしれません、少々がっかり。けれどもBOOK-1で本田透翁の「喪男の哲学史」を買うことができました。というわけでなかなか有意義な一日でありました。
追記:江戸城の西ノ丸が立派に作られたのは、最初秀忠が住んでから次期将軍の居所という慣例ができたからですが、本丸と西ノ丸という同規模の城が維持されたのは、木造建築であるので焼失しやすく、スペアの意味があったからなのでしょう。豊臣時代の大阪城も本丸と西ノ丸が同規模だったといわれています。太閤さんの死後に内府(徳川家康)が西ノ丸に乗り込んで本丸の淀殿・秀頼母子を凌ぐ権勢を誇ったことは有名な話ですね。本丸が最後に焼失したのは文久三年(1863)で、江戸幕府がもう少し続いていれば再建されたのだと思います。
ちなみに御所の方は、平安中期以降はあまり実務が行われなかったので、焼失したとしても、里御所といって院や摂関の屋敷に移るだけでなんとかなったため、スペアは必要とされませんでした。摂関期以降はみかどは里御所にいる方が常態となりました。それどころかどうも国家施設への放火は家柄が固定して出世できなくなった貴族のはけ口として常態化していたらしいので、途中からきちんとした建造物を造るのを放棄してしまったのが真実ではないかと私は考えています。
« 官打ち | トップページ | 昭和天皇はツンデレである »
「旅行・地域」カテゴリの記事
- 札所二十番ー二十一番(2021.03.22)
- 札所十八番、十九番(2021.03.13)
- 宅宮神社(2021.03.06)
- 札所十三番から十七番(2021.02.27)
- 遍路転がしの坂と札所十二番(2021.02.20)
この記事へのコメントは終了しました。


コメント