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2006年12月14日 (木)

京都公方

 わたくし、茨城県出身ながら徳川慶喜という人が今までどうにも理解ができませんでした。今日「幕末閣僚伝」という本を読んでやっと分かりました、

 徳川慶喜は文久二年(1862)七月六日に将軍後見職に任命され、翌文久三年一月に入京して朝廷との折衝役を務めます。そして慶応四年(1868)一月に大坂を退去するまでの五年半が彼の公的な活動期間です。慶喜の仕事は京都で将軍の名代として働くことでした。

 しかし、江戸からは水戸・長州・薩摩と結託して幕府を転覆するつもりなのではないかと疑われ、朝廷や長州からは幕府が尊攘派を懐柔するために送り込んだスパイと疑われ身動きが取れなくなりました。さらに、慶喜には覇気がなかったので、承久の乱における北条泰時のように幕府の先兵となって薩長を討ち滅ぼして幕府を復興することも、足利尊氏のように朝廷に寝返って幕府を倒すこともできず、京都と江戸の板挟みになって保身するに終始してしまいました。

 優秀ではあったけれど、人の上に立つ人間ではなかったのでしょう。ただし人死にを最小限に食い止めたのだけは評価できるかもしれません。理解はできましたが、やはり尊敬できるような人間ではありませんでした。

 私は慶喜なんかよりも徳川家茂の方がよっぽど偉いと思っています。それと和宮。それに家茂が生きていれば、明治天皇の叔父に当たりますから、徳川幕府があんな潰され方をされるはずはなかったでしょう。

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