小山田丘陵を行く
横浜線淵野辺駅から町田市営プールまで歩いたのに屋根の補修中でお休み。一年半前にも同じことがあったような・・・広くて泳ぎ甲斐がある室内プールなのになかなか泳ぐことができません。
このまま帰るのは癪に障ったので、鶴見川沿いに多摩ニュータウンまで歩くことにしました。地図を見たら唐木田まで道が続いているとあるじゃありませんか、唐木田まで行けば多摩市の市営プールがあります。あそこは子供が多くて泳ぎにくいけれど、今は冬だから空いているでしょう。ということでてくてく唐木田まで踏破することにしました。
日大三校入り口を左に折れて都道155号を北に進みます。しばらくすると道が狭くなって風情がありそうな光景が広がってきました。大泉寺というお寺に寄ってみる。田舎の小さいお寺だろうと甘く見ていたら、ところがどっこい100m近い長い参道と立派な山門があって驚きました。曹洞宗だそうです、ということは武家のお寺なんでしょうか。
家に帰ってから調べた所、このあたりには小山田氏という秩父平氏の豪族が根を張っていたそうです。それどころか小山田氏というのは鎌倉御家人の鑑と呼ばれた畠山重忠の叔父の一族だと言うではありませんか。
さらに、小山田氏は、畠山一族が北条氏に攻め滅ぼされた時に、一緒に滅ぼされて、多摩の横山から追い払われて全国にちりぢりになりました。その一人小山田高家は新田義貞一の家臣として働きます。そしてかの湊川の戦いでは、武家方に包囲されて絶体絶命に陥った義貞の身代わりとなって壮絶な討ち死にを遂げたのでした。これは「太平記」の見せ場の一つです。こんなところで太平記の小山田高家ゆかりの史跡に出会うとは思いもよりませんでした。
さらに奥へ行くと、広場にどんどん焼きのために注連飾りをうずたかく積み上げてありました。中心に篠を立てて、その先に達磨さんが逆さにつるしてあります。達磨さんなので逆さでも顔に見えるわけですが、これを見て直感しました。
私は達磨さんという物の意味がよく分かりませんでした。なんで手足がないのか。なんで怒っているのか。何故赤いのか。おそらく達磨さんというのは"生首"の代用品なのです。古代の支那では、異民族の首を刈って魔除けとして吊しました。強い敵の生首には呪力が籠もると信じられていたのです。そして、坂東武士の館でも、生首を門前に吊していたと言います。インドネシアの一部には首狩りの風俗があって、つい十数年前も宗教紛争の時のその風習が復活して世界を驚かせました。首狩りは太平洋を取り巻く地域に住む民族にかなり古くから伝わる風習です。
つまり達磨さんというのは、生首が手に入らない時の代用品であるのです。だから恐い顔をしていて、下が細く打ち落とされた首のようになっていて、しかも血のように赤い。これは魔除けの生首だと考えれば全て説明が付きます。赤いのは首からしたたり落ちる血であったのです。目が入っていないのは、目というのは真っ先に腐ったり鳥や虫に食われて落ちるからです。白いのは肉が腐ったり鳥についばまれて髑髏が見えているからです。
元々は達磨とは言わなかったのだと思います。何時しか生首の代用品であったことが忘れ去られて、手足がない様子が達磨大師の姿に似ていたので、達磨さんと呼ばれるようになったのでしょう。
小山田氏の歴史に触れ、達磨の起源に関する着想を得ることができました。プールが閉まっていて良かったというべきかもしれません。そのあとアクアブルーで一時間半ほど泳いで帰りました。
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