鴨志田穣氏、急逝
陰暦 二月四日 【法隆寺会式】【霧島神宮お田植え祭】
戦場カメラマンで小説家で、そして漫画家の西原理恵子先生のご主人である鴨志田穣氏が亡くなりました。四十二歳。
鴨志田氏のことは西原先生の漫画で読んでいました。私も酒が好きですので、酔っ払いの鴨志田氏には共感がもてました。西原漫画を読み始めた頃には、既に先生は第一子を出産された時期でした、私は掲載紙ではなくて単行本で先生の作品を読んでいましたので二年から三年遅れて西原一家のことを追いかけていたことになります。
平成十四年頃に結婚したという話を読んで、それまでの作風からちょっと想像が付かない展開でしたのでどうなることがと驚きはらしながら作品を見守っていた覚えがあります。
毎日新聞に「毎日かあさん」を連載されるようになって、西原さんの名前も一気に広まりました。しかし既にその頃には鴨志田穣氏の酒乱はどうしようもない所まで言っていたはずです。後から考えると、漫画が一年ぐらい遅れて現実に起こったことを追いかけていたからです。漫画ではオブラートに包んでいましたが、アルコール依存症には必ず暴力が伴います。ついに西原先生と鴨志田氏は離婚されました。その頃、漫画か先生のサイトに、鴨志田氏が子供に暴力を振るったとちらっと書いてあった記憶があります。酒乱に理解がある先生も、それだけは防ぎたかったのでしょう。
離婚後も、元ご主人のアルコール依存症との戦いを先生は見守っておられました。そして鴨志田氏は依存症を克服して、二人は何とまたよりを戻したという(籍はどうしたのかよく分からないけれど)、とても西原先生らしいなと思いました。
そして、鴨志田氏は急逝されました。
鴨志田氏との結婚と出産がなければ、漫画家西原理恵子は行き詰まっていたと思います。四十を過ぎた女性が麻雀でもないでしょうし、周りの友達も労ってはくれなくなりますから、実体験を描く西原理恵子としては、どうしても漫画が殺伐とした方向に流れて、やがて消えていったでしょう。かといって、マイホームパパと暮らす西原先生も想像ができません。それにその路線は既に青沼貴子先生が確立されています。人が敷いたレールの上を歩くのは先生には似合いません。
鴨志田穣氏の冥福をお祈りします。西原先生には落ち着いたら、またハチャメチャだけれど優しい作品でファンを楽しませてください。
« 応仁の乱後の畿内(八) | トップページ | 鹿島鉄道乗車紀 »
コメント
この記事へのコメントは終了しました。


波乱万丈の人生でしたね。
とても寂しいです。
投稿: toki | 2007年3月28日 (水) 22時49分
tokiさん初めまして?
この名前を使いそうな方には知り合いに二名ほど心当たりがあるのですが、ともかくよくいらっしゃいました。
離婚した時は大変だったでしょうが、最後は家族が再び一緒になることができたらしいですね。西原先生のことはこれからも応援していきたいです。
投稿: べっちゃん | 2007年3月30日 (金) 20時40分
そうでしょうか。西原さんは結婚してから前ほど面白くなくなったという声も多いようです。
元々力のある人が、しかも毎日新聞で育児ものを書けば、まず同じ母親が応援してくれるでしょう。
しかし、西原さんの漫画でさえ、ママ友がどうとか、ただの育児日記と化していくのを感じました。名のある人とのつきあいをかく量が増え、内容が薄まっているのも感じます。
多分独身のままのほうが面白かったのではないでしょうか。
投稿: むぎ | 2008年5月 7日 (水) 10時16分
確かに無頼派の風味はどんどん薄れていますね。「まあじゃん放浪記」や「とりあたま紀行」でファンになった人にとっては、最近の西原先生には物足りない面もあるかもしれないです。
投稿: べっちゃん | 2008年5月 7日 (水) 23時13分