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2007年4月 5日 (木)

同じ穴の狢

陰暦 二月十八日 【清明】
 今日気がついたが、カトリックで言う「奇蹟」というのは日本の言葉に直すと「御利益」なんだな。

 「それは違う」という意見が返ってくるでしょうが、機能的には同じだと思います。仏教や神道の信者だって、お金が儲かることばかりを御利益と考えているわけではない。ふとした出会いに神仏のお導きを感じたり、九死に一生を得たことを神仏に感謝したりする。これを御利益といいます。カトリックが言う所の奇蹟と変わらない。

 聖痕は御利益とは違うだろうと言われそうですが、奇瑞祥瑞の類と同じだと考えられる。痛かったり血が出たりするけど、有り難がっている点では変わりがない。

 だからカトリックは駄目だとは言いません。むしろこのような人間本来の泥臭い信仰に根ざしているからこそ力強くて信頼できるとすら言えるでしょう。全く飾りのない宗教なんてむしろ気味が悪い、何か政治的なたくらみが裏にあるのではないかと私なら疑います。

 キリスト教の信者の文化人なんかがよく道徳と信仰を結びつけているけれど、そういうものは本来キリストの宗教とは関係ないと思います。世間が許さない悪でも何でもかんでも、神にさえすがれば許しちゃうというこの一見不条理な所が大事であるはず。ヒトラーだって、神の前で祈ればキリストは許したはずです、ただしそのあとで周りから八つ裂きにされるでしょうが、そういうことにはキリストは関知しないはずです。現世で人間が人間にどのような罰を与えようが、キリストには関係がないことだからです。

 キリストの宗教はそのような道徳とか規範とは別の所にあったのに、それと結びついた時点で、既にキリスト教というのは、神道のように土着の生活習慣と密接に結びついた宗教と撰ぶ所のないものとなりました。

 まあお釈迦様にしたって、イエス・キリストにしたって、世俗の権威を徹底的にコケおろしにしているわけですから、いつまでも教祖の宗教が続いていては、そのうち社会は崩壊しますから、宗教が常に同じような姿に落ち着くのは人間の知恵なんでしょう。

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