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2007年5月17日 (木)

「管子」に見るインフレとデフレ

陰暦 四月朔日 【日光東照宮春季例大祭】

 私は「管子」と「荀子」は近代的な内容を含んでいるとつねづね思っているのですが、昨日読んだ部分に丁度良い例があったので紹介しようと思います。

 「管子」巻第一 乗馬第五 にインフレ政策とデフレ政策を説明した部分がありました。

(書き下し文)
 黄金は用の量なり、黄金の理を弁ずれば、即ち侈倹を知る。
 侈倹を知れば、即ち百用節す。
 故に倹なれば即ち事を傷り、侈なれば即ち貨を傷る。(傷る:やぶる)
 倹なれば即ち金賤く、金賤ければ即ち事ならず。(賤い:やすい)
 故に事を傷る。
 侈なれば即ち金貴く、金貴ければ即ち貨賤し。
 故に貨を傷る。

 まずここまで、明治書院の口語訳では「黄金の理」を「貨幣価値の原理」としています。そして「倹」を「財政引き締め」、「侈」を「放漫財政」と訳しています。

 しかし「金賤く」を「貨幣価値が下落」と訳してしまっているために、内容が変になっています。「財政を引き締めると、貨幣価値が下落して、購買力が上がらなくなって生産力が上がらない」、となっていてこれはおかしい。

 諸子百家や史記の文章で「金」を「貨幣価値」の意味で使った用法は、私の知る限りではありません。「金」はやはり、物質としての黄金Auとするべきでしょう。従って「金賤く」とは「金の額面価値が下がる」、と解するべきで、貨幣価値は上がるので、即ちこれは「デフレーション」を表していると考えられます。

 そうなると「金貴く貨賤し」は貨幣の価値が下がる、即ちインフレーションでしょう。当時の貨幣は今で言う硬貨ですので、発行量には限度があります。ただし逆に際限のないインフレも発生しません。「貨を傷る」とは当時の感覚でのハイパーインフレを表しているのではないかと思います。あるいは、貨幣の悪鋳を余儀なくされることかもしれません。当時は地方ごとに様々な貨幣が用いられていましたので、どこか一国だけでインフレが発生すると、その国が為替で損をして亡国の原因になったのかもしれません。

 従って、四行目以下は、「財政を引き締めると、商品の額面価値が下がり(デフレとなって)、経済活動が停滞して、経済に損害が出る。放漫財政になると、商品の額面価値が上がり(インフレとなって)、政府が発行する貨幣の価値が下がるので、貨幣制度に損害が出る」と訳せるでしょう。

続いて、
 貨尽きて、しかる後に足らざるを知るは、
 これ量を知らざるなり。
 事已みてしかる後に貨の余りあるを知るは、
 これ節を知らざるなり。
 量を知らず、節を知らざるは、
 これを有道と謂ふべからず。

 「貨尽きて」は二通り考え方があって、
 一、放漫財政によって国庫が尽きる、
 二、経済活動が加熱して貨幣が足りなくなってハードランディングが発生する
 ことを想定しているのではないかと私は考えます。

 「事已みてしかる後に貨の余りあるを知る」これはデフレによって経済が停滞して、逆に国庫や家計には資産が積み上がる状態を表しているのでしょう。

 従ってここで謂う「量」は通貨供給量を表していると考えられます。なんと二千五百年前の支那には通貨政策の必要性に気がついていた人がいたのです。ただし、管子の謂わんとすることが誤解されてきたであろう事は、「明治書院」の口語訳を読んでも分かります。儒教に影響されると、どうしても放漫財政を「悪」と解釈せざるを得なくなるからです。しかし「管子」のこの一節は、緊縮財政と放漫財政の優劣を論じた物ではなく、政府支出が経済にどのような影響を与えるか、解明しただけであると謂えます。

 「節」が何を意味するかはみなさんで考えてみて下さい。

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コメント

偶々、「菅子、貨幣」と検索して、この記事を見つけました。
とても参考になりました。ありがとうございます。

「金賤く」の解釈はお説の通りだと思います。
偶々、誤訳もネット上で見つけました。
http://windofweef.jp/library/preinform/1/12/img/gunzi_jyuoba.pdf

「節」は文脈から考えると、マネーサプライです。
但し、金融政策と広く捉えた方が「節」という漢字に即している気がします。

後、気付いたのですが、多分、金Auではなくて銅Cuだと思います。
当時の斉で使用されたものとして発掘されているものは、布貨、刀貨が主なようです。
当時、金Auが採掘されたのは楚で、楚のあった地域では金貨が発掘されています。

また、当時の貨幣の生産体制とその環境を考えると、
「貨を傷る」=「為替で損をする」=「貨幣としてではなく、素材としての流出」
ということだと思います。
それが周辺国にとって一番理に適った攻撃方法ですので。
「大君の通貨」のような状況を連想して頂けると分かるかと存じます。

「管」ですね。
変換で失敗しているのに気付きませんでした。
失礼致しました。

菅子の書かれた頃の状況と江戸末期を描写した「大君の通貨」の頃を似ていると表現したのは、コメントした後で少し飛躍があり、安易過ぎたと反省して、図書館で菅子の全文がある本を見て来ました。

貨幣の価値を変化することができるとありますが、これはインフレ・デフレの調整を想定した変化であって、貨幣の含有成分の割合を調節するという意味合いの記述は無さそうでした。

金、刀、銅といったキーワードでざっくり見てみただけですし、漢文をスラスラ読める訳でもないので、或いは見落としがあるのかもしれません。

ただ、そもそも世界の認識に金融政策での調整には、貨幣の質を下げる(再現性・永続性のある物質の割合を減らす)ことは概念として含まれていない気がします。実際、金本位制の頃にそんなことをすれば、それは大スキャンダルでしたし、それだけでも戦争の理由にすらなり得ました。

それもあって「大君の通貨」の中で描かれる江戸幕府が貨幣の質を下げた(再現性・永続性のある物質の割合を減らした)補助通貨を流通させていたこと(*)をイギリス大蔵省の役人アーバスノット(Arbuthnot)が驚き、国際市場での金の価格との整合性を取ろうとした日本に対してアメリカとイギリスが武力で日本の通貨制度を無視した為替レートを強いて、補助通貨である銀貨と日本の通貨であった金貨のレートを歪めた蛮行は国際法違反に成り得ると、そのリスクを指摘した訳です。

(*)の部分の理解は菅子には記載が無く、これはインフレ・デフレの調整とは違う概念です。

紀元前の頃の鋳造技術を鑑みると、その頃の技術で貨幣の質を下げる(再現性・永続性のある物質の割合を減らす)ことは恐らく最初から成されていて、これ以上減らすとコインに鋳物になり得ないという所まで頑張っていたという気もします。というのも、当時でも既に銅が不足して困っているといった記述もありますし、また、コインを作れば作る程、儲かったのですから、できるだけ多く作ろうと当時の人も頭を使っていたと想定することにも妥当性があるとも思われます。

また、仮にこの当時に技術革新があって、技術で貨幣の質を下げる(再現性・永続性のある物質の割合を減らす)ことに成功していたら、その貨幣を溶かして素材を取り出そうとした人がいれば、「何だ、これっぽっちか。待てよ、ってことはどうやって作ったんだ?何か技術があるのか?じゃあ、その技術を盗めば、もっと儲かるぞ!」と絶対になった筈で、当時のそんなエピソードが全く記述に残っていないことも、間接的ながら、恐らくこの当時に鋳造技術に大きな進歩は無かった(緩やかだった)と考えても良い気がします。正確性を期すのであれば、発掘された鋳造の成分の割合を比較して、違いを考察すれば良いのでしょうが、そういうものは直ぐには見つかりませんでした。また、多少のバラツキがあっても、或いは、当時の人達は毎回素材の割合は誤差が出る、職人の腕によっても変わるといった感じで、それこそ鋳物が直ぐに割れるという位に劣悪な鋳造でもない限り、その違いに中々気付かなかったのかもしれません。

なので、材質の割合を調整して補助通貨を流通させて、材質を落とした分を懐に入れるという発想は、恐らくこの当時は無かったんじゃないか、という気がします。

「貨幣の価値は代用貨幣のモノ(素材)としての価値とは無関係である」という気付きは、「貨幣を直接着ることも、食べることもできない」という表現で主張しているので、この手の気付きも含まれていたと理屈上は言えるのですが、これは違う気付きでもあります。その気付きの存在で実際に江戸幕府は一気に崩壊してしまった訳ですし、コロンブスの卵だと思います。

お騒がせ致しました。

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