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2007年5月 8日 (火)

読書人の涙

【国際赤十字デー】
陰暦 三月廿二日

  フランスでサルコジ氏が大統領に当選しました。主要国では初めての"戦後生まれの大統領"だそうです。日本だけでなく、世界中で政治家の若返りが進んでいます。

 日本のマスコミはサルコジ氏について偏った情報しか伝えていません。彼はハンガリー難民とユダヤ人の混血です。彼が非難しているのは、移民先の社会に馴染まずに破壊的な行動をする"不逞移民"であって、決して人種差別をしているわけではありません。生粋のフランス人が移民を迫害しているのとはわけが違うのです。逆にそのようなバックグランドを持っているからこそ、移民に遠慮ない物言いができるのだと言えるでしょう。

 連休中に周恩来の伝記のさわりを読みました。周恩来といえば、暴走しがちな毛沢東を支えた良識的知識人という好意的な評価が一般的ですが、最近では自己保身に汲々として文化大革命を止められなかったおべっか使いという見方もでているようです。

 周恩来というのは支那の読書人らしく、複雑でひだのある人物であったのは間違いないようです。どのような逆境にあっても、投げ出さずに、最大限の利益を引き出す生き方に支那人は魅力を感じるのだと思います。

 しかし、周恩来の人気というのはそのような表層的な物に留まらないのではないかと思います。彼等にとっての周恩来の魅力は朱子学の大義名分論を通さないと正しくは理解できないのではないでしょうか。

 悪逆非道な皇帝が立った場合どうするべきかは、儒教の永遠のテーマです。そのような場合討伐しても良いというのが孟子の湯武放伐論です。しかしそのためには討伐する側が徳を持っていることが条件になります。

 儒教など知らない漢の高祖や朱元璋ならそのような心配をする必要はありません。皇帝が気に入らないならやっつけるだけです。しかし、儒教を修めた読書人の場合、皇帝を放伐するには「自分が徳のある人物だ」という自覚が必要になります。その自信がないのに放伐をしても、それはただの反乱です。

 しかし、そのような自信がある読書人など存在しません。大義名分論というのは要するに「読書階級は絶対に皇帝に叛逆してはならない」と言っているのに等しいのです。叛逆を起こしても構わないのは、儒教など知らない非読書階級だけなのです。

 皇帝というのは、英明な人もたまには出ますが、ほとんどが凡庸です、創業者にいたっては文盲であることの方が多い。右も左も分からない無力な皇帝は、海千山千の官僚・武人・宦官に囲まれて孤独です。

 その孤独な皇帝と官僚の間に結ばれた契約が「大義名分論」です。読書階級がこれを守る限り、皇帝は官僚を信頼します。逆に、これを破った読書階級は、たとえ最高権力者になったとしても、読書階級からの信頼を得ることはできません。この大義名分論が崩れると、元々が文化的な制約の少ない支那は完全な無秩序に陥ります。

 宦官と女性は皇帝になれません。だから皇帝はこの二者に耽溺します。皇帝と武人の間には、大義名分論がありません。しかも武人は儒教を知りません。ですので武人はいつでも皇帝に成り代わることが可能です。そのため、支那では武人の地位が低く抑えられてきました。

 これで、周恩来がなぜ毛沢東を放伐しなかったのかが分かると思います。読書人の自覚がある周恩来が、皇帝たる毛沢東を放伐すれば、支那がもっとひどい混乱に陥るであろうことが彼には分かっていたからです。文化大革命の混乱は、毛沢東の寿命が尽きれば終わります。しかし、周恩来が大義名分論を破ることによって発生する無秩序は永遠に修復不能です。

 周恩来は支那にとって謝枋得や方孝孺と並ぶ朱子学の聖人なのでしょう。

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コメント

>宦官と女性は皇帝になれません。

武則天を忘れてませんか?
安部さんほどのお方が知らないとは思えませんけど。

女性の皇帝がいないわけでも、なれないわけでもありません。

たった一人だし、なかったことにされているので例外としていいと思います。

死後しばらくは皇帝扱いでしたが、その後皇后にされて即位はなかったことにされましたので女性が皇帝になるタブーはむしろ武則天以後に確立したと私は思います。皇帝として復権したのは文化大革命の時です。

武則天以降も皇帝同然の権力を持った女性は何人かいましたが、皇帝にはなれませんでした。

それに武則天にしても夫の皇帝が存命のうちは皇帝にはなれませんでした。従って、皇帝本人にとっては、妃はライバルとなりません。

皇太后や太皇太后は皇帝を廃立できますが、母后はこの場合別扱いとなります。儒教では孝は義に優先するからです。

たった一人とはいえ、皇帝として扱われた人物がいるのです。
「皇帝になれない」というのは、間違いでしょう。

またタブー視と法律上なれないというのも全然違うことです。
そういうことを混同しているように感じるのは気のせいでしょうか?

 なるほど、輔住さんの洞察は重要な意味を含んでいそうですので、もう少し深く追究してみる勝ちがありそうです。

 武后は最初の夫である太宗の死後、自身が道士となっており(尼となったら二度と俗世間には戻れないから)、皇后になって実権を握ってからは仏教も重んじました。

 そして、唐では儒教・道教・仏教が融合した思想が重んじられていました。これは日本の仏教と神道にも多大な影響を与えています。

 儒教が弱く、道教と仏教が強かった当時の支那では、女性が皇帝になることのタブーが弱かったのかもしれません。

 武后以降の唐王朝が、武則天を否定したのは、李氏の王朝の存続を確保するためでしょうね。

 儒教が支那の政治思想として確立するのは、北宋以降です。性理学(朱子学)も宋代の成果です。

 女性で皇帝となったのが後にも先にも武后のみであることから、女性が皇帝になるタブーはやはり非常に強い物であったのは間違いないでしょう。漢以前の古代支那では出てこない発想ですし、朱子学が支配的となった宋以降も出てこない発想です。

 道教と仏教が儒教と並んだあの時代ならではの現象でしょうね。

 ちなみに、支那の法律を探しても「女性は皇帝になってはならない」という条文はないでしょう。これは、儒教が弱かった時代をのぞけば、言うまでもない不文律であるからです。

>輔住さんの洞察は重要な意味を含んでいそうですので、

というか、改めていいたいことを書いておきますと、
不文律でかつ、例外人物もいるのです。
知っているなら、例外についても書いておくべきです。

ご存知の通り、藤原良房以降、藤原北家(5摂家)のもの以外、摂政や関白になれないという、不文律がありました。
だが例外として豊臣秀吉や秀次をいることを無視するのは、問題でしょう。
(秀吉は関白になるため5摂家の1つに養子になっていますが、後に豊臣という新しい姓を得ます。
不文律に従えば、秀吉はこの時点で関白をやめるべきです)

安易に例外だからとなかったことにしていいなどと書くのは危険だと思います。

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