危国の兵になるなかれ
陰暦 五月七日
はっきり言ってしまうと、私は「孫子」が嫌いです。あれは枝葉末節の論でありハウツーの最たるもので、儒学で人格陶冶することなしに孫子などを読んで全て分かった気になっているのは殆いと常々思っています。漢籍に触れるにはまず儒学から入るべきです。
従って「荀子」を紹介するに能って議兵編から入るのは甚だ不本意なのですが、生き馬の目を抜くような現在の世界にあっても兵法からはいるのが一番分かり易いのもま否めない。そのようなわけで荀子の議兵編の紹介をします。
まず「亡国の兵」があります。個人の技芸に頼り、装備は一点豪華主義の軍隊を亡国の兵と呼びます。亡国の兵は強い敵に当たった場合、統制がとれずに、バラバラになって戦うために呆気なく敗北します。
次に「危国の兵」があります。兵に厳しい訓練を課するかわりに、軍人が重んじられる国です。危国の兵隊は強く、寡兵でもって良く戦うことができますが、軍人が特権階級となり、平時の軍事費に圧迫されてやはり国家は危殆に陥ると説きます。
荀子は亡国の兵の例として斉を挙げ、危国の兵の例として魏を挙げています。
これに対して、当時盛強であった秦では、国民を困窮させ、刑罰と相互監視で徹底的に管理するため、軍の維持費が少なくて済み、戦争に勝って手柄を立てないと奴隷の身分から抜け出す方法がないため必死で戦うようになる、だから強いと言います。
しかしまだ「仁義の兵」があるといいます。仁義の兵の要件は
・君主が賢士を好む国である
・民衆を慈愛する国である
・政治や命令が誠実であって国民を欺かない
・民衆の心が整うている
・賞与を手厚くする国である
・刑罰に威厳がある国である
・機械・道具・兵器・武具がよく整備されて使用しやすい
・軍隊を動かすことに慎重である
・権力機構が統一されて命令が一本になって出る国である
これらの条件を充たし、仁義をもって兵を動かせば必ず勝つであろうと荀子では説いています。
この判断基準は現在の支那人にも受け継がれていると私は思います。昭和に入ってからの大日本帝国は明らかに「危国の兵」を地でいっていました。必ず大日本帝国は滅びると彼等はみなしていた筈です。だから蒋介石は容易なことでは降伏しなかったのです。
人民解放軍はまさしく秦の兵です。彼等は自分たちが仁義の国ではないことは充分承知しています。次善の策として秦と同じ強さを追求しているのです。
翻って、我が国の自衛隊をみるに、今のところ仁義の兵の要件の過半数は充たしています。日本侵略を中共に思いとどまらせるためには、米国やかつての大日本帝国のように戦争をしまくって強さをアピールする必要はありません。権力機構を一本化し、国の統一を守り、軍隊(自衛隊)の軍律を厳正にし、装備は常に更新していれば、決して中共は日本に攻めてきません。
漢籍を読めば読むほどに、現在でも支那の知識人は儒教や法家思想を基準にして行動しているとの思いを強くします。その基準ですれば、今の日本が一番手強いと彼等はみなしているはずです。大日本帝国よりも強いのです。もちろん、自衛隊の国軍化は必要ですし、装備はもっと立派にしなければならないでしょうが、戦後の日本の軍隊のあり方は間違っていません。強い兵というのは、戦後の日本の軍の延長上にあるのです。
今後軍の重要性は高まるでしょう。私は断言しますが、軍人というのはどうしても「のぼせ上がり」ます。既に退役軍人(自衛官)のあたりにその兆候は出ています。官僚の権威が失墜した後には、必ず軍人の天下が続くはずです。日本という国の担い手として軍人が表に出てくる日は近いです。政治家も官僚も医者も弁護士も権威失墜した今、パワーエリートが情報機関と軍人を目指すであろうことは目に見えています。そのこと自体を悪いこととは私は思いません。
そろそろ軍人という人種の良いところも悪いところも我々は知る必要があります。彼等の一部は自衛隊の歴史を否定しようとするでしょう。そして自らは大日本帝国の国軍の継承者を任じるかもしれませんが、それは危国の兵であり弱い兵です。自衛隊の悪口を言う元軍人は自衛隊の敵であり、防衛庁もそのような余計な応援団は決して頼りにしないで今の道を堅持するよう私は願っています。
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