「五日市街道を行く」
陰暦 五月十二日
三月に滝山街道を下って秋川まで歩いたので、今度は秋川から五日市まで踏破することにしました。といっても十キロ弱ですので楽だろう、と思ったのが甘かった。
夏至の翌日なので太陽は一年で一番高く、梅雨の晴れ間で見事な五月晴れ。肌はじりじり焼かれ、水不足で一時間も経たないうちにフラフラしてきました。六月の太陽を甘く見てはいけませんね。
結局二時間半で水を一リットル飲み干しました。日本はどこにでも自販機があるので助かります。去年ニューデリーの高級住宅地を歩いた時には屋台もなくましてや自販機などあるはずもなく危うく行き倒れになるところでした。
さて旅の方ですが、秋川駅で下車して、南口の前の道を西に行くとすぐに五日市街道にぶつかります。やがて淵上の交差点で睦月橋通りと合流して、自動車専用道並みの立派な道路になります。あきる野市の道路良さは目を見張るほどです。青梅よりもずっと良い。ていうか茨城県よりも立派です。緑も豊かだし、土地は広いし、東京には近いし、ここは穴場です。
暫くすると醤油の蔵があって、できたての醤油を売っていました。酒蔵は見たことがありますが、醤油蔵の即売は初めてです。銘柄はキッコーゴ醤油(亀甲五醤油)面白そうなので醤油とお酢を買い求めました。合わせて1.5kg、重い・・・これも熱射病になりかけた原因かもしれません。
五日市街道沿いには数多くの寺社が並んでいてそれにお参りしながら進みました。歴史の古い土地柄であることが窺えます。秋川には古代の古墳がありましたが、こちらが拓けたのは鎌倉時代末期から南北朝にかけてらしいです。山田大橋のたもとには足利公方基氏の母(あるいは乳母?)が創建した瑞雲寺がありました。要害の地である秋川は関東における北朝の根拠地であったとのことです。
山田から暫くすると伊奈に出ます。江戸城の石垣にも使われた石切場で江戸の始めには六日の日に市が開かれて繁盛しました。しかし、炭の供給地である山方の方にやがて客を取られ、しかも山方が六日の前日である五日に市を開いたため(昔の人も結構えげつないことをしますすね)市は衰退したとのことでした。今は当時を偲ぶよすがとしてバス停の横にひっそりと市神様の祠を残すのみです。
橋から秋川峡谷を望みながら、五日市に到着。しかしこの武蔵五日市駅、町から離れています。もうちょっとなんとかならなかったのでしょうか。しかも土曜に開いている郵便局がないじゃん。とぶつぶつ言いながら、酒屋を探し、若い夫婦がやっているお店を発見、「しろやま桜」というお酒を買い求めました。生まれたばかりの赤ん坊が可愛らしかったです。お嫁さんは来たばかりらしくてレジの打ち方がたどたどしいのが初々しい。
そんなこんなで二時間半の旅でした。家に帰って、亀甲五の醤油で刺身を食べたところ、無茶苦茶上手い!こんな旨い醤油は初めてです。これは筆舌に尽くしがたい味です。醤油とはこんなに旨いものであったのか。
更にしろやま桜がまたものすごく旨い。店の大将が「貴重ですよ」とぼそっと言ったのは伊達ではありませんでした。多摩の食材はすごく美味しいと思う。個人的には京都で売っていた物より美味しいんじゃないかと思いたくなるくらいです。あの頃は学生で碌なものが買えなかっただけかもしれないが。
ともあれ、亀甲五醤油としろやま桜、熱射病になりかけただけの甲斐はありました。
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