2007年の外交革命(上)
陰暦 四月廿三日 【下弦】
日本国内は年金だ選挙だと騒いでいますが、世界では中東で人知れず大きな動きがあった模様です。
(1)5月28日、米国とイランがイスラム革命以来二十数年ぶりに正式な外交協議の場を持ちました。大使級です。その場で平成二十年(2008)三月に、イランで穏健派が参加する議会選挙が行われることが約束されました。
(2)同じ頃、イランのアフマディネジャド大統領がイスラエルの滅亡は近いと表明しています。これはいつものことなのですが・・・
(3)6月4日付の日経新聞ではEUとイランの間に大型商談が立て続けにまとまったとあります。(4)そして今日、プーチン大統領はサミットで米国と一緒にアゼルバイジャンのミサイル防衛情報を共有することを提案しました。
まず(1)の意味するところ、これによってイランは独裁国家ではなくなります。これによってイランは米国のテロ支援国家指定からいずれ外れます。実質的にイランのイスラム強硬派が米国に屈したことを意味します。
ではイランが得る見返りは何か、これが(2)と(4)から推測できます。イランのミサイルは技術的に未熟ですので、米国はもちろん欧州にも届きません。イランの仮想敵国はイスラエルとインドです。両方とも核保有国です。そのためイランは国防のために核の保有を必要としました。
しかし、米国との交渉が好転したということは、イランがイスラエルとインドの核の脅威から脱する目途がついたことを意味します。核保有を米国が許すはずがありませんので、これは乃ちイランは米国の核の傘に入ることが事実上決定したことを意味します。
インドは先月米国の核の傘の下に入ることが決定しました。同じ米国の核の傘の下に入るわけですので、イランの東側の安全はこれで確保されました。問題は西側です。イランが米国の要求を呑んだと言うことは、おそらくイスラエルのイラン攻撃を許さないことを、米国がイランに保障したと推測できます。
これは外交革命といえる破天荒な出来事です。米国は五十年来の中東外交を大転換させて、イスラエルとの同盟関係を破棄し、イランに同盟相手を変更しました。(3)は耳の早いEU諸国が早速おこぼれにあづかろうとしている図です。
米国はイスラエルに多額の軍事援助をつづけてきましたが、文書では同盟を結んでいません。ですので両国の関係はすぐにでも破棄することが可能です。おそらく今後も援助は続けるでしょうが、イランへの攻撃は許さないでしょう。
そこでたいへんな意味を持つのが(4)で、米国はトルコ(NATO加盟国です)とアゼルバイジャンの基地を使って表向きはイラン、しかしその実イスラエルを監視するという表明です。
これによってイスラエルは空軍とミサイルを無力化されました。今後イスラエルは自国領内での専守防衛しかできません。日本のような島国ならともかく、四方を敵に囲まれたイスラエルにとってはかなり悲惨な事態となりました。死地に陥ったといって良いでしょう。これが(2)や最近のイスラエル政界の混乱に反映されています。
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