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2007年8月 4日 (土)

選挙結果の総括と今後の展望(四)

陰暦 六月廿二日 【北野天満宮例祭】

「格差社会ではなくて階級社会」

 今回の選挙によって、05年体制における政治の対立軸が浮かび上がってきました。

 55年体制においては、発展する都市から吸い上げた税を地方に分配することが自民党政府の主な役割でした。都市の労働者は地方出身の一世でしたので、この政策に対する反感はあまりありませんでした。いうなれば国が地方の実家への仕送りを代行していたようなものです。

 都市労働者の生活改善は、いつもながらの欧米の制度を移植することによって実現されていました。モデルを如何に早く移植するかにしか国民の興味はありませんでした。目標はまず国民全員に健康保険と年金を保障すること、小さな政府を目指すのか北欧式の福祉国家を目指すのかは、真剣には議論されていませんでした。

 平成に入り、健康保険と年金は大多数の国民に行き渡りました。これによって、福祉を更に充実させるのか、それとも社会保障は今程度に留めておいて社会の資源を経済発展に重点的に振り向けるのか、という対立点が生まれました。

 更に、地方一世が退職し、都市住民の現役世代のほとんどは都市で生まれ育った人達に入れ替わりました。彼等は都市で産み出された富を都市のために使って欲しいと考えています。また村落共同体の規範を子供に身につけさせることを目指す従来の教育に飽き足りなさを感じています。都市で生きるための術を自分や子供に身につけさせてくれる教育を求めています。

 もう一つ、右肩上がり経済の時には顕在化しなかった階級問題が表に出てきました。階級は戦後の社会にもずっと存在しました、90年代よりも80年代の方が階級の経済格差は大きかったくらいです。それが何故00年代に入って脚光を浴びることになったかというと、右肩上がりの時代には「全ての人間がサラリーマン的な生活ができるようになる」という夢があったからです。

 少々オタクな話ですが、藤子不二雄のアニメや「はーいアッコです」にでてくる生活です。20代後半で結婚して、女性は専業主婦になって、子供は二人、40の声を聴く頃には一軒家を建て、親を呼んで(あるいは親の近所に住んで)、自家用車を持つ、という生活。これがいつかは国民全体に行き渡るとみなが信じていました。

 しかし、それは不可能であることが明らかになりました。ホワイトカラーというのは恵まれた職種であり、あれはだれにでもなれる職業ではなくて、それなりの知識や規範を身につけた人間でないと就くことはできない狭き門であったのです。

 ホワイトカラーになれなかった場合、肉体労働者にならざるを得ないわけですが、ブルーカラーの給与はやはり少ない。これは戦前も戦後も、洋の東西を問わず変わらない厳然たる事実です。

 90年代を通じてメディアはホワイトカラーを揶揄して、若者にホワイトカラーになるための勉強をすることを怠るように仕向けました。ホワイトカラーになれるかどうかは、その文化を身につけられるかどうかで決まります。不況であぶれた人でも、その文化を身につけていた人は正社員化が進んでいます。しかし、元々身に付いていない、あるいはメディアに騙されてホワイトカラー的な文化を莫迦にしてきた人達は、もう正社員にはなれないという現実の前に立ちつくすしかない。

 ホワイトカラー文化とは何か、かいつまんでいうと近代人のことでして、組織のために働くことができる、自分の意見と組織の方針がぶつかっても最後は組織のために行動ができる、日常的なことは自分で判断がつく、表だって人の悪口は言わない、等々です。組織があまりに間違っている場合はそれを主張できる、というのも入ります(ですので盲目的に組織に従うのは奴隷であって近代人ではないでしょう)。「政治に関わらない」というのもあるのですが、だとしたら私はちょっぴり外れているかも(^^;

 こういった素養が身に付いた人間が集まっているからこそ、日本の会社というのは米国のような微に入り細を穿った服務規程を作ることなく柔軟に、比較的少人数で機能することができました。そこに、公金を扱う時の手続き(こういうものは生活習慣として身に付いている人には簡単にできる)をわきまえていない人が入ると、途端にエンストを起こして機能しなくなります。一人の社員を動かすために監視が一人付くと言った、発展途上国的なやり方では近代社会は動かせないのです。

 少し話は逸れますが、北朝鮮が日本人の拉致に拘ったのは、そういった生活習慣を身に付けた人材が圧倒的に不足していたからだと私は推測しています。奴隷には近代国家は動かせません。ソ連と衛星国が立ちゆかなくなったのも結局は近代人が不足して西側と勝負ができなくなったから、近代国家というのは運送会社の親方にもそういった素質が求められる社会です。政府から何もいわれなくても、物資が剰った場所から足りない場所へ輸送をして金を儲けて、社会にも貢献できる、そういう人材がいないと低コストで社会を動かすことができません。

 ブルーカラーが全員薄給でうだつが上がらないことを宿命づけられているとはいいません、先に述べたように起業家意識溢れる人材であれば豊かな暮らしが可能です。

 つまり近代社会で主体的に生きていくための文化を身につけることができた人であればサラリーマン的な生活ができるのが近代社会です。そして、それを身につけていない人は給与が減ってしまうのは、かつては教わるまでもないほど当然のことでした。しかし、右肩上がりの時代が続いたのと、メディアが隠したために、日本人はそれを忘れてしまいました。そのため、いわれたとおり学校が出たのに何で豊かな暮らしができないのだという不満が渦巻く世の中となってしまったのです。

 それが「都市で生きるため教育を学校が子供に施していない」、ということなのですが、話が広がるので、これは次の次くらいに取り上げます。次回はサラリーマン新党の可能性についてです。

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