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2007年9月13日 (木)

神話も結構流動的

陰暦 八月三日

 相変わらず冴えない空ながらも久々に雨の降らない一日でした。夏と冬になると聖なる祭典が開かれる場所に行ってきました。そのお祭りとは何の関係もありませんが。

 今度はインディアンの神話を読んでいます。今までの中で日本の神話や昔話に一番近いと思います。けれども、ところどころに聖書の影響が見られたり、スペ イン人によってその部族にもたらされたはずの玉蜀黍の起源が創世神話に加わっていたりと、神話というものがほんの数百年でかなり改変を受けると言うことも 分かります。

 日本の話ですが、民俗学である地方の古来からの習慣とされていた特殊な相続制度が、宗門改め(戸籍)の研究から、江戸末期に飢饉を乗り切るために新しく発生した風習であることが確認された例もあります。

 民俗学を金科玉条のように扱うのも考え物です。

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コメント

民俗学では○○と××はどちらが古い形なのかとか、この儀式の本来の意味はどうだったのかということは「推測」できても、年代がわかる訳ではありません。

先日、姫路の古代史愛好家の方が民俗学の先生の講義に参加されたらしいのですが、年代については一切触れられなかったということです。

どうやっても神話は文字化された時点で本来の意味とは違った形でまとめられるわけです。

日本神話の場合、最初に文字化されまとめられた形が残されている(ということになっている)ということが他の神話と違うところなのでしょう。

インディアンの神話にしても、ケルトの神話にしてもまとめた人間はキリスト教的教養を素地を元に、そのフィルターを通してヨーロッパ言語化し文字化しているわけです。

祭祀の継続に必要なのは人間力と経済力です。どちらかが枯渇したり逆に膨張したりすれば変更や縮小拡大または廃絶は必ず起こりますよね。

 神話というのは、社会に及ぼす効果だけを取り出せば、成文法が無い文化における憲法みたいなものだと私は理解しています。

 何か問題が発生した時には、神話にまで戻ってどうするべきか考えるのだろうと。

 近代になるまでは古いものはよいものであったので、神話は「昔の物語」という形式を持っているのであって、過去の記憶を正確に保存することは別に神話に課せられた役目ではないのだろうと私は思います。

 ですからインディアンが聖書を神話に取り入れたり、倭人が仏教や儒教を神話に取り入れることもむしろ神話としては健全なあり方ではないでしょうか。


 それと日本でも祭祀というのは勇者ロトさんがおっしゃるように、行う側の政治的・経済的な力によって左右されてきました。

 一番わかりやすい例が宮中祭祀であって、あれは江戸時代になって宮中の財政が安定してから作られたものが多いんですね。なるべく平安時代の記録に準拠しようと努力はしたらしいですが。

 各地方の祭りも、現在の形式が整ったのは天保の頃というものが多いです。それ以前にもあったのかもしれないけれど、記録はたどれないようです。そもそもわれわれが抱いているイメージの「田舎」ができたのが天保時代でした。かくちのお祭りとか民謡も案外新しい「田舎」というものの一部分であるのです。

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