« 東洋の火薬庫(一) | トップページ | 東洋の火薬庫(三) »

2007年10月 8日 (月)

東洋の火薬庫(二)

 元寇の際、鎌倉幕府は国家総動員態勢を作るために総検地をし、朝廷と協力して国論を統一し、不穏分子(時輔、名越一族)は粛正され、対馬からはスパイ (向こうにはばれていましたが)を送って情報収集するなど、打てる限りの手を尽くしています。文永の役での陸戦の敗北の経験は弘安の役に活かされていま す。当時の日本人は最善を尽くしました。軍部と政党と官僚が反目・内部分裂をし、外交交渉にも誠意を欠いていた(これは国内が分裂していたせいですが、外 国にとっては日本が不実であるようにしか見えない)昭和前期の日本とは違います。

 朝廷が持明院統と大覚寺統に分裂したのは、元使がたびたび往来し、国内が緊張した時期と同時でした。この一大事に、幕府としてはどちらかを潰すような荒療治はできなかったのかもしれません。

 急に話は近代に飛ぶのですが、江戸時代には太平洋側よりも日本海側の都市の方が栄えていました。どこまで当時の人に自覚があったのかは分かりませんが、江戸幕府にとっての仮想敵国であるスペインとポルトガルは太平洋側から攻めてくる可能性の方が高かったので、日本海側を後背地としたのは地政学にかなっています。

 明治政府の仮想敵国はロシアでしたので、明治政府が太平洋側に産業を集中させたのは地政学にかなっていますが、太平洋側からの攻撃に無防備になりました。ロシアを仮想敵国とした時点で、米国と戦ってはいけなかったんですね。

 戦後は再びロシアが仮想敵国になりましたので、明治以来の産業配置が有効に働きました。しかしソ連崩壊でロシアは極東で攻勢に出ることができなくなりました。入れ替わるように支那が強大になり、朝鮮半島と台湾が不安定化しています。このような時期にあり得べき国防とはなんでしょうか。

 一番近い状態は、明でしょう。人民解放軍は東亜に覇を唱えた唐・清帝国たらんと欲しているようですが、今の支那は文官と武官を手足のように動かせる強力な指揮系統を持っていません。ああいうことは軍の親分が政治のトップを兼ねていないと不可能です。

 明がなぜ日本に攻めてこなかったかというと倭寇が制海権を握っていたからでした。結局東シナ海の制海権さえ渡さなければいいと言うことになりそうです。海空軍を増強し、陸軍は対テロ遊撃部隊を主力にする。倭寇が東シナ海に充満し、武士が散らばっていて迂闊に上陸ができない状態。これがいい。

 産業配置は、環東シナ海経済圏を作って支那の海岸部を運命共同体にして戦争ができなくすると同時に、支那と北朝鮮から離れた関東に中枢を集める。要するに今の日本政府のやり方で間違っていないと言うことになります。東北地方はもうちょっと開発しても良さそうだと言うことになりそうです。九州や沖縄は支那が元気になれば放っていても発展するのは歴史が証明しています。自治体の自由にさせればいいでしょう。

 支那の弱体化を望む声がありますが、これは間違っています。支那が内乱状態に陥れば、日本も必ず内乱状態になります。これも歴史の教訓です。今のように日本が穏健派の後ろ盾となって大陸の統一が保たれているいる状態が最高です。

« 東洋の火薬庫(一) | トップページ | 東洋の火薬庫(三) »

経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/173723/16692847

この記事へのトラックバック一覧です: 東洋の火薬庫(二):

« 東洋の火薬庫(一) | トップページ | 東洋の火薬庫(三) »