シチリアの晩祷(一)
陰暦 十一月十七日
世界史を勉強していて、中世西欧の年表の中にひょこっと「シチリアの晩祷(もしくは晩鐘)」という単語が出てくるのに気がついた人はいるでしょうか。教科書には似合わず詩的な印象をもった単語が高校以来私はずっと気にかかっていました。
山川の用語集の説明を読んでも要領を得ない、塩野七生のファンの知り合いに尋ねてもどうもよく分からないらしい。そのまま十年が過ぎました。
この前、特急ひばり号を撮しにいったついでに寄った宇都宮の本屋で「シチリアの晩祷」という分厚い本が目に入りました。持ち合わせをはたいて買うことにしました。
「シチリアの晩祷」スティーブン・ランシマン著 榊原勝・藤澤房俊訳 太陽出版
英国の歴史研究家が書いた中世西洋史の書物です。地中海史を知る上で欠かせない名著だと解説にはあります。なるほど、考証もしっかりしているし、読み物としても面白い。それは訳者がこの書物に込めた想いの表れでもあったのですが、それは最後の訳者後書きで分かります。
有史以来シチリアはギリシャ人、フェニキア人、ローマ人の支配を受け、独自の政権を持つことがありませんでした。それはシチリアの民族構成が複雑で、土地も険しい山河に隔てられてまとまりにくかったのと、地中海の中央をやくし、ヨーロッパとアフリカを結ぶ橋という地政学的な重要さのため、時の大帝国が地中海支配の要として決して手放そうとしなかったからに他なりません。さらに古代のシチリアは穀物倉庫として、人口過剰だったイタリア半島を支えました。
十一世紀のシチリアはビザンツ帝国に支配されていました。しかし、ビザンツ帝国はトルコ人の圧迫を受けて、西方の植民地の維持までは手が回らない状態でした。そこに、ノルマン騎士の一団が登場します。海賊に先祖を持つ彼等は、ノルマンディーで封地を得られなかったため、征服地を求めて放浪していました。中世の欧州にはそのような盗賊だか貴族だか分からない連中がうろちょろしていたのです。彼等もノルマン公爵家の分家で、イングランド王になった親戚のウィリアムのような成功を夢見ていました。
アルタヴィラ(オートヴィル)家のルッジェーロとロベルトの兄弟は、ローマ法王の援助を受けて、ビザンツ領の南イタリアを征服します。ローマ教会は教皇領の拡大を目指していました。彼等の活躍は「ノルマン騎士の地中海興亡史」(山辺規子著 白水社)で活写されています。
オートヴィラ家はシチリアと南イタリアにまたがる王国を作りました。彼等はシチリア本意の政治を行い、シチリア人にとって最も幸福な時代が訪れます。グリエルモ二世は「善王」という称号を得ています。
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