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2007年12月13日 (木)

現代の銅銭と金貨とは?

陰暦 十一月四日

 再び「ふしぎ星のふたご姫」のガチャガチャに挑戦したところ、レインの普段着が出てきました。ファインへの道はまだ遠い。

 さて全然関係ない話から入りましたが、インフレとか利子という物は分かりにくく、ここ十年くらい問題になっている「政府が財政破綻するぞ」とかいう話とか、「年金はもらえなくなるぞ」という話は、これらインフレや利子、どっちにしろ利率なんですが、というものに対する一般人(もちろん私も含む)の理解が足りないことに起因しているのではないか、と思っている私は、本とかそういう関連のブログとか見ていろいろ考えてみました。

 けれどもいまいち腹に落ちない。人間目に見えない数字だけの概念は分かりにくい物です。しかし、一昨日の鐚銭を使えば少しは理解が進むのではないかという気がしてきました。

 まずお金(資産でも良いですが)は使わないで(あるいは運用しないで)手元に置いておくと、お魚のように劣化する、ここが分からないと先に進まない。何となくお金は"情報"であるので未来永劫同等の価値を持ちそうだと思いがちだけれど、それは違う。実際、銅銭は酸化して腐って使い物にならなくなります。中世の日本ではお米の小切手のようなものが貨幣のかわりに流通していましたが、これも時間が経つにつれて蔵の中でお米が劣化しますので、価値は下がる(まあ米の端境期には値上がりするかもしれないけれど)。要するにお金というのは腐ると。

 インフレ税というのがいまいち分からなかったのですが、こういうことでしょう、政府は貨幣の振り出し主なので、ぴちぴちの新品を使うことができます。しかし給料や公共事業の代金などとして貨幣を受け取った時には貨幣は劣化を始めています。極端な言い方をしますと、十文政府からもらって、一年後に使うとこれが九文分の買い物しかできない(実際はそんなには早く劣化しません)。一年後に九文になるお金で、政府は相手を納得させることができるわけで、これは実質的に給料や公共事業の代金から税金が天引きされているのと同じことになる。

 これはインフレ経済である限り、銅銭でも紙幣でも、電子マネーでも一緒です。年率2%のインフレ経済では、一日に0.005%ずつお金の価値は目減りします。これはつまり政府からお金をもらった人は毎日0.005%税金を取られているのと同じことです。

 金貨はなかなか劣化しません。ですので、政府には金貨を発行する旨味があまりありません。金貨の役割は、社会の安定化ではないかと思います。

 つまり、政府が役人に金貨で給料を払えば、役人は政府を維持させようと努力することになるでしょう。金貨なら、すぐに使わなくても、例えば老後までとっておいても劣化しません。それどころか子孫に残してもまだ劣化しません。これが銅銭だといずれ使わないと鐚銭になってしまいます。公共事業の代金として金貨がもらえるなら、民衆も政府を支えようと努力するでしょう。

 となると、貨幣発行自体が政府の重要な"行政サービス"ということになりそうです。銅銭を発行することで「お金を使おう」という気持ちにさせて経済を回す。金貨を発行することで「国を支えよう」という気持ちにさせて世の中を安定させる。大変重要な役割です。政府の役割というのは古今東西、まず第一に国防ですが、第二はこの貨幣発行であるかもしれません。

 院政期以降の王朝国家や、室町幕府は貨幣を鋳造していませんでしたが、米の券は発行していました。これも一種の紙幣、もしくはバーチャルマネーです。紙幣だけで経済を回していたわけですので、考えようによっては江戸時代よりも高度なことをやっていたんですね。正式な名前は忘れてしまいましたが、その米の券を発行するためには、土地紛争をきちんと裁定したり、外敵をやっつけたり、天災の復興事業をしたりして、国家に年貢を集めなければいけませんでした。

 現代の社会における銅銭と金貨というのは何に当たるのでしょうか。銅銭は紙幣(もしくは預金)ですね、これは分かり易い。金貨はなんでしょうか、こっちはよく分からない。金本位制の時代には文字通り金貨でしたが、今は紙幣と金貨の間は切れています。ドルかというとこれもちょっと違うと思います。ドルというのはかつて東アジア共通の貨幣であった宋銭や永楽銭のようなものでしょう。田舎の政府が作る銅銭よりは信用は高いけれど、所詮銅銭なのでやはり劣化します。

 金貨の役割が国家を安定させることであるとすれば、もしかして社会福祉こそが現代の金貨であるのかもしれません。これについての論考は週末に(明日は忘年会だし、土曜日は写真を撮りに行くので日曜日になると思います)


追記 昔の社会というのは生産力の拡大がなかなか起きないわけで、しかもバーチャルなお金というものもない(全くないとはいえないけれど)、生産力の拡大がない社会を現物だけで回していたら、当然インフレは起きない。そういう世の中で消費を喚起するためには、徐々に劣化していく銅銭というのは非常に貨幣として性能が良いのではないかと言える。


 鉄ほどすぐには劣化しないので安心であるが、一生退蔵してしまいたくなるほど頑丈でもないのでどうしてもそのうち使わざるを得ない。貝と石でも良いかもしれないけれど、貝と石は大量生産ができない上に、溶かして再生することができない。

 話は変わるけれど、古代支那の秦があれだけ強かったのは、もしかしたら金山を持っていたからではなかろうかと私は推測しています。「管子」を読むと、古代の支那には金本位制があったらしいことが分かります。ということはどこかが金を生産していたわけで、ローマやインドの金という可能性もありますが、秦であるとすると、その強さの理由が説明できると思うんですよね。

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