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2008年5月13日 (火)

「春秋左氏伝」桓公十二〜十五年

陰暦 四月九日

 春秋左氏伝データベース(EXEL)fileを更新しました。

 桓公十一年に、宋が鄭のお家騒動に介入して、厲公突を擁立しました。突の母は鄭の荘公の妾で、宋の雍氏の出です。

 魯の桓公は元々が宋の武公の外孫でしたので、宋と鄭から挟まれる格好となったために、宋の陣営に入ります。十二年は宋が魯・杞・燕などの東方諸侯と会合を重ねます。しかし魯はこれに反対して袂を分かち、鄭も宋が強欲であるとしてこの同盟から抜けます。

 斉が抜けていますので、宋は魯・鄭・燕などと一緒に斉を攻める計略であったのかもしれません。魯の桓公の妃は斉の文姜でした。宋との同盟を断った魯と鄭が同盟を結びました。

 十三年、魯鄭が宋斉衛燕を攻めます。しかし、魯は実質的に戦いに参加しなかったようです。やはり魯は斉に遠慮しています。

 十四年に斉の僖公が亡くなります。宋は鄭に復讐し、鄭は城内まで攻め込まれてしまいます。

 十五年、鄭の厲公突は自分を擁立してくれた祭仲が疎ましくなりました。祭仲は本来突のライバルである兄弟の忽の守り役でしたが、宋に脅迫されて突に仕えていたのです。厲公は祭仲の娘婿である雍糾に殺害を命じますが、雍糾の妻が父の祭仲に計画を漏らしたために、亡命を余儀なくされます。そのあとには忽が入って鄭を継ぎました。

 これによって、魯と鄭の同盟が切れて、魯は宋斉の陣営に入ることになりました。斉の僖公の死から、鄭の政変、魯鄭同盟解消、宋斉魯同盟まで一気に進んでいるところをみると、この一連の陰謀の立役者は斉の襄公である可能性が浮かび上がってきます。

 不思議なことにこれまでの魯の桓公は、外戚である宋と斉の陣営には近づかないように努力していました。内政干渉を嫌っていたと推測されます。しかし、ここに来てついにこの二大強国につかまってしまいました。このことが桓公に悲劇をもたらし、魯の公室の弱体化を招き、実権は三桓に移ることになります。

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