無責任が一番の原因
陰暦 四月十四日 【浅草三社祭】
「重臣達の昭和史」勝田龍夫著 文藝春秋 を読んでいます。
あのひどい時代に西園寺公や原田熊男のような立派な人もいたことに少しほっとしましたが、それにしても当時の日本の指導者の無責任ぶりには呆れてしまいました。良いことをやった人から順に暗殺されてしまったので、権力者が萎縮してしまったのは仕方がないとはいうものの、それにしても情けない。
日本人は悪い将来を予測するのが苦手のように思います。このまま進むとジリ貧になるのを認めたくないから、潰れた組織はあえて成算のない博打に突き進むことが多い。支那事変と日米開戦はその典型だと思います。戦略的撤退というのが苦手なんですよね。そう言う意味では福田総理というのは日本人に苦手なことを見事に遂行している希有な人材であるのかもしれません。地味でとてもそのようには見えないですが(笑)
米内光政と山本五十六が原田熊男を通して西園寺公と親交があったというのは意外でした。あるいは山本五十六をゆくゆくは海軍大臣、首相にという考 えがあったのかもしれません。あそこで戦死していなければ、小磯・米内内閣ではなく、山本内閣もあり得たのかもと思いました。司令官としての才能には疑問 符を付ける人も最近はいるみたいですが、軍政家としての山本五十六は研究に値するのかもしれません。
宇垣内閣の流産は返す返すも惜しい。三月事件が最後までミソになっているあたり、大望ある人間はつまらない手段に手を染めてはならないという教訓です。
それと、「重臣達の昭和史」と「悲運の宰相」はどうやら識者がこの時代を語る時の種本になっているのではないかという感じがしました。あと、西園 寺公が興津から上京して幼い皇太子に拝謁するという記述があり、今上陛下もやはり歴史の中に生きている方なのだなと思った次第。
追記 元気なうちに大滝秀治に西園寺公を演じて欲しいと思いました。
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