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2008年7月25日 (金)

長崎旅行(三)・・・軍艦島クルーズ

陰暦 六月廿三日

 十九日の夜は長崎出身の友人、即ち今回の旅行の言い出しっぺかつ幹事が用意した木賃宿?に泊まりました。長崎は工場が多いので、季節労働者用の安い宿がいくつかあるみたいです。でも悪くはなかったです。

 酒を飲みながら、その長崎人と広島から来た人が分厚いバス時刻表(このようなものがあること自体関東の人間にとっては驚きです)とにらめっこして、あーでもないこうでもないと侃々諤々の議論をしています。どうやら明日の午前中のルートを考えているらしい。

 翌朝、二日酔いでボーっとする中七時に起き、バスを三回乗り継いで、長崎名物の山の上の住宅地をぬって長崎港まで行きました。なるほど、とてもバスが通るとは思えない軒下、しかも10%くらいありそうな勾配をスルスルと抜けていく、これは一見の価値有りと思いました。さらにただの住宅地なのにバスが二十分間隔でやってくる、北関東の田舎では考えられません。九州はバス社会だという長崎人と北九州人の主張の正しさを思い知りました。

 長崎港から今回のハイライト軍艦島クルーズに出港。お客が集まらないと出港しないというコースです。何せ結構な距離があるのにガンガン重油を焚いて船としては高速で荒波を越えるので、燃料代が馬鹿にならないからでしょう。目出度くお客が人数に達したので時間通り出港。

 建造中のガス運搬船や謹慎中の某イージス艦を右に左に見ながら、野母崎の方へ向かいます。端島、通称「軍艦島」は長崎港から15km南西沖合にありました。

 岡山出身で、瀬戸大橋ができるまでは墓参りもフェリーでしたので、船になれていたつもりでしたが、さすがに軍艦島の近くまで来るころには気分が悪くなってきました。といっても観光バスほどではありません。

 このあたりは海底炭坑が多く、船の案内によると有田焼の燃料として江戸時代から掘られていたそうです。端島も明治時代から掘削されていました。再生機の昭和三十年代には周囲400m程度の小島に5000人がひしめいて暮らしていました。人口密度は東京の十倍。

 この島の見所は、岩山に所狭しと張り付く鉄筋コンクリートの廃墟。鉱夫だけでなく、その家族が結構な人数いたので、小学校と中学校、病院、お寺、神社、映画館まで揃っていました。まるでSF映画に出てくる未来都市(というかスラム)のごときです。こんなところ(失礼)でも生活できるんだなあ、モータリゼーションの前だからできたことだよなと色々な感想が頭に浮かびました。

 水は当初水道船を使っていましたが、さすがに五千人分をまかなうのは無理ということで対岸からパイプを引いたそうです。電気も、自家発電では間に合わなくなって、高島から引いたといっていました。

 西側は外洋に面していますのでかなり波が高いです。防波堤も一段高くなっています。実際潮流が浅瀬を越えるときには水面が盛り上がるのですが、それが船からも認められました。西南からの眺めはまさに軍艦。土佐にもっとも似ていると言われていたそうです。

 しぶきで肌はベタベタになりましたが、なかなか得難い体験でした。

 昼飯は、チンチン電車の写真や鉄道模型でいっぱいの怪しい定食屋で食いました。スコールが来て電車に乗り遅れそうになりましたが、日頃の行いがいいからか時間前には長崎駅に着き、かもめに乗って博多、そして地下鉄で福岡空港、飛行機で羽田まで、さすがは飛行機、速いです。飛行機恐怖症を克服した・・・と思いますので、これからは九州や北海道にも足を伸ばして旅をしようと思います。

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