沙石集を読む(二)・・・忠言、感あること
まず、割合有名な話から。
下総國(栃木県)の地頭が、領主(公家)の代官と裁判になって鎌倉で審判を受けることになった。三代執権北条泰時の時代である。長々とした裁判のあと、 領主が決定的な陳述をした。その時地頭ははたと手を打ち「あら負けだ」と言った。座席の人々はどよめき笑ったのに、泰時だけは深く頷いて、
「よくもきれいに負けたものである。泰時は裁判官として長く審判をしているが、未だこれほどまでに潔い負けっぷりは見たことがない。負けが決まった人も、悔しさのあまり、一言でも良いわけをするというのに、自分から負けを認めるのはなかなかできることではない。地頭側のこれまでの弁論にもそれなりに頷けるところもある。しかし領主側の弁論が決定的だったので、言い訳をせずに負けを認めた、返す返すも立派な振る舞いである。正直者である。」
といって、涙ぐんだ。そのため、笑っていた人達も気まずくなってしまった。
さて、領主の代官もこれまでこの地頭がこの件以外で特に領主側に迷惑をかけたという事実もないので、負けっぷりに免じて、六年間年貢を払わなかったけれども、三年分は免除しようと折れた。素晴らしい温情ある措置である。これこそが「負けたらばこそ勝った」と言うべきである。
・・・人間正直が一番である、過ちを犯しても道理をわきまえて、正直に罪を認めて恐れ入れば許されるのである。往生際悪く罪をなかなか認めずないものはますます深みに落ち込むのだ。
非常に日本的なものの見方ですね。ここで唐突に心地観教の解がでてきます。
「もし罪を覆うものは、罪即ち増長し、発露懺悔すれば、罪即ち消滅する」
仏教の面から補強するわけです。これでもう十分だと思うのですが、その時代時代で支配的であった思想で後付をするのもこれまた日本の知識人の特徴です。さらに自然物にたとえて説きます、これも日本人が好む理解の仕方です。
罪を隠すのは木の根に土をかぶせるようなものだ。土をかぶせれば木はいよいよ栄える(罪がますます重くなる)。懺悔は土を取り除くのと一緒で、そうすれば木はすぐに枯れる。
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