古代支那にもいたらしい
陰暦 九月二日
「管子」巻第六 法法第十六
その昔、夏・殷・周の三代が天子の位を継承するに当たっては、同じ天下にあって相手を殺害したのである。人民を貧困にし、財貨を消滅させるものとしては、戦争より大きなものはない。国家を危険にし、君主を悩ませるものとして、戦争より激しいものはない。
以上の四つの災禍は明確でありながら、昔から今日まで、戦争を廃止することはできなかった。
戦争が廃止するべきものでありながら、廃止しないのは惑いである。廃止することができないのに、これを廃止しようと望むのも、同様にまた惑いである。この二つの惑いは、国家に傷害を与える点では同じである。
黄帝・尭・舜は、帝の中にあって隆盛な存在であった。彼等は天下を我がものとして保有し、支配権は一人の手中にあった。しかしその当時にあって、軍備は廃止されなかったのである。
現今においては、天子の徳は黄帝・尭・舜に及ばず、天下の人民は従順でないにもかかわらず、それでも軍備を廃止しようと望むのは、まことに実現困難なことである。それ故、賢明な君主は、自分の力で自由にできる範囲の事柄を知り、自力ではどうにもならない憂慮すべき事柄を知っているのである。
国家が治まって、人民が物資の蓄積に励むことは、君主が自分の力で自由にできる範囲内のことである。天下の治乱は、君主の自力ではどうにもならない憂慮すべき事柄である。
・・・中略・・・
たけだけしく気の強い君主は人を誅殺することを何とも思わない。平気で人を誅殺することの弊害は、正道にしたがって行動しているものが安心していられなくなることである。正道にしたがって行動しているものが安心していられなくなれば、才能のある臣下は君主の元から逃亡する。
逃亡した彼等は我が国の実情を知っており、敵国のために我が国に対して計略を立てれば、外からの難儀がこのことから到来する。それゆえに、「気の強い君主は外からの難儀を免れない」といわれるのである。
気の弱い君主は人を誅殺することを遠慮する。人を誅殺することを遠慮する過失は、悪事を行うものがその行為を改めないことである。悪事を行うものが長い間にわたってその行為を改めなければ、臣下達は徒党を組むようになる。
臣下達が徒党を組めば、君主の善い点を覆い隠して、悪い点を世間に宣伝する。君主の善い点を覆い隠して、悪い点を世間に宣伝すれば、国内の乱れがこのことから起きる。それゆえに、「気の弱い君主は国内の乱れを免れない」といわれるのである。
賢明な君主は、父母への親愛のために国家を危険にさらすようなことはしない。国家は父母よりも親愛なものなのである。
自己の欲望のために君主としての命令を変更するようなことはしない。命令は君主自身よりも尊貴なものなのである。
大切な財宝のために君主としての権威を臣下に分け与えるようなことはしない。権威は財宝よりも貴重なものなのである。
人民を愛するために君主の定めた法を曲げるようなことはしない。法は人民よりも大事にする物なのである。
感想
どうやら古代の支那にも空想的平和主義者が存在したようです。同時にして、戦争の無益さにも斉の学派は気がついていました。そして、外敵の侵入はどれだけ善政を施してもコントロール不能であるので、平時の軍備が必要であると説きました。大したものであると思います。
後段は日本の政治家やマスコミに当てはまりそうです。
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空想的平和主義者って、無防備都市宣言を推奨している方々ですか?
あれは宋襄の仁ですよね。
孫子曰く、兵は国の大事にして、死生の地、存亡の道、察せざるべからず。
投稿: 保守系左派 | 2008年10月 1日 (水) 20時18分
これはおそらく戦国時代に管子の流れを汲む学派が書いた文章だと考えられます。
戦国時代の斉というのは、東は海、北は燕と趙が遊牧民を防いでくれていて、西は韓と魏が秦を防いでいて、南方の楚との間には長江と湿地帯があり、戦乱から無縁でした。
ですので、軍備無用論を唱える人がいたのかもしれません。
しかし、軍備を怠ったため、湣王の代に楽毅率いる燕の軍によって一時的に滅ぼされてしまいました。
投稿: べっちゃん | 2008年10月 1日 (水) 21時58分
宮城谷昌光さん当たりは、斉について思い入れがあるのもその当たりなのかな?
秦による統一で最後に滅ぼされるのも地政学によるんでしょう。
投稿: 保守系左派 | 2008年10月 2日 (木) 12時51分
斉は割合理性的な文化を持っているんですよね、管子も孟子も孫子もバランスがいいし、言論の自由も感じられます。残酷な刑罰の記録などもあまりありません。
それと、女性の記録が支那にしては珍しく多く残されています。儒学者からは全員悪女扱いされていますが(^^;
遊牧民の国ですので、自由さ、明るさが中原と比べてあったのではないでしょうか。
ですので、宮城谷先生も愛着を持ったのかもしれません。
投稿: べっちゃん | 2008年10月 2日 (木) 20時07分
イメージとしては秦の方がより遊牧民国家のはずなんですが、法家によって自由さ明るさといったものを排除し、易姓革命の新たな容を残し、斉は国は失ったが、文化・思想は後世に残したということですか。
投稿: 保守系左派 | 2008年10月 2日 (木) 20時25分
史記などを信じれば、秦というのは商鞅を迎えるまではかなり野蛮だったらしいです。それに対して斉は、創始者の太公望からしてインテリですし、国都の臨畄(リンシ)はかなり古くから繁盛していたようです。
それと思い出しましたが、斉は塩が取れました。これのおかげで豊かで、交易が盛んでした。
ですので、遊牧民に商業がプラスされて、自由な風土を作ったのかもしれません。
それと、臨畄の一番古い地層の墓からはコーカソイドの骨が出土しています。太公望はもしかしたら白人だったのかもしれません。
他にも三国志の呉の孫策が金髪碧眼だったとか、孔子が「君子は竜顔(顔が長く、鼻が高い)」と主張しているなど、どうも古代の支那にはコーカソイドがいたようなんですね。
斉はペルシャやインダス文明の流れを汲む民族が作った国であった可能性もあると私は思っています。
投稿: べっちゃん | 2008年10月 2日 (木) 20時39分
コーカソイドがでると日ユ同祖論とか(ry
陸路より海路の移動が主だったのかもしれないですね。
孔子自身がの可能性も大きかったんでしたっけ?
斉と日本(倭)が一番、交流しやすかったんではないでしょうか。出雲系?
越(高志)は扶余系とかカナシキシュウサイさん他おおいですし、日本に来たコーカソイドが物部系の鬼そのものなんでしょうかね。
投稿: 保守系左派 | 2008年10月 2日 (木) 21時21分
古代日本にコーカソイドが来ていたかどうかは私にはわかりませんが、古代人は現代人が思っているよりもダイナミックに交流していたみたいですよ。
それと、名前や故事から推測すると、古代の皇族や出雲国造にはアルビノがいたようです。
「あお」とか「しろ」という言葉が名前に出てくる時期があったり、直射日光を避ける風俗があったり。
まあ「白米を神格化した」と言うことなんでしょうが、もっと直接的にアルビノがいたからだ、と妄想しても許される範囲ではないかなと思っています、あくまで私の想像ですが。
投稿: べっちゃん | 2008年10月 2日 (木) 22時50分