平安鎌倉私家集(一)ー好忠集・上
陰暦 九月廿四日 【鞍馬の火祭】
立川の古本市で、重量あたりの金額が異様に安かったので買った「平安鎌倉私家集」が予想以上のでもので、この時代の和歌に対する私の認識がガラッと変わってしまいました。
明治以降の歌詠みが万葉を過大に評価し、古今や新古今を貶めたために、この時代の歌人はあまり評価されていません。しかも一番良く知られているのが「小倉百人一首」、訓詁学者としての藤原定家の能力は古今随一でありますが、彼の歌詠みとしての能力にははっきり言って疑問符が付きます。
さすが定家が選んで手を加えただけあって、百人一首は駄作揃いであり、こんな駄作が中世の代表的な歌集として幅をきかすようではこの時代の歌の評価が下がるのも仕方がないのかもしれません。
まずは「好忠集」から。曾禰好忠は貞元、寛和の頃の人で受領でした。受領とはいわば徴税請負人です。国司となって朝廷に定められた税金を納めますが、それを越える分は自分の収入とすることが許されていました。貴族の分家や有力な豪族が任命されました。官位は低いですが、成功すれば凄まじい富を蓄えることができました。
好忠も丹後掾(丹後國:京都府北部、掾:三等官)に任官していますが、それ以上の出世はできなかったようです。歌の道でも不遇をかこった人物で、身の上を嘆く歌を多く残していますが、やはり一番光るものを持っているのは自然の描写にあるといえます。
京都の郊外で田畑を経営していたようで、大宮人が実際の自然から離れた生活するうちに、庭の草木や見たこともない歌枕でしか季節を現せなくなっていったのと対照的に、四季折々の身の回り自然の姿を写実的に詠んでいて、われわれ現代人にも馴染みやすいものがあります。
一月 峰の日や今朝はうららにさしつらむ軒の垂氷(たるひ)のしたの玉水
- (山の端から朝陽が今日はのどかに射している、軒の氷柱の下に玉のような水が滴っている)
二月 わが宿の板井の水やぬるからん底のかはづも声すだくなり
- (私の家の井戸も水がぬるくなったのだろうか、底の蛙が声を合わせて鳴いているようだ)
三月 我ために霞は花をかくせども荒き風にはしたがひにけり
- (春霞が私の目から花をかくしてしまったけれども、花は荒々しい春の嵐には抗しきれないで散ってしまった)
四月 野辺見れば草引くばかりになりにけり我が苗代も老いやしぬらむ
- (野原が草刈りするほどに茂っている、私の苗代の苗も大きく育っただろうか)
五月 杣川(そまがは)の筏の床の浮き枕夏は涼しきふしどなりけり
- (材木を流す筏のような河床は、夏には涼しい寝床となるだろう)
六月 蚊遣火のさ夜ふけがたの下焦がれ苦しや我が身人知れずのみ
- (蚊遣火が夜更けてひそかにいぶっているように、心ひそかに恋い焦がれ、苦しいことだ、人知れず思い悩んでいるのは)
明日は秋と冬の歌を紹介します。
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