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2008年10月14日 (火)

春秋左氏伝データベース(〜桓公十八年)

【鉄道の日】
陰暦 九月十六日

 

「春秋左氏伝データベース」を更新

「shunjyu_a.xls」をダウンロード(桓公十六〜十八年)

 この時期諸国でお家騒動が頻発した。力をつけてきた卿が主君の公を弑逆、もしくは追放する事件が続発する。諸侯(大名)から卿(家老)への権力の移行が表面化する時期と言える。

 桓公十五年には鄭で一年のうちに二回も君主が入れ替わる。れい公突が追い出され、復帰し、再び追い出される。翌十六年は宋・魯・蔡が中心になって鄭と戦う。突を鄭に戻すことが目的と見られる。

 同年、衛でお家騒動が勃発し、衛公が斉に亡命。蔡でもお家騒動が起きている。

 十八年、斉公と魯公が会合を持つ。前年に発生した国境紛争の後始末と考えられる。

 しかし、その会合の場で斉の襄公が魯の桓公夫人である文姜と密通。文姜は襄公の妹なので密通の上に近親相姦である。文姜は桓公に嫁ぐ前から襄公と姦通していたので、この会合に無理を押して参加したことからして、最初から密通するつもりで襄公と文姜は示し合わせていた可能性が濃厚であった。

 斉の桓公も妹と密通しており(管子にある)、どうも羌族は性に関する倫理が中原の民族と比べて緩かったのではないかと思われる。ちなみに天皇家や公家も平安時代までは異母兄弟婚を平気でしている。日本の貴族の道徳観は性に関しては漢族よりはむしろ遊牧民の羌族に近い。

 腹を立てた魯の桓公は当然に抗議するが、逆に襄公は公子彭生を使って桓公を暗殺してしまった。君主を情けない形で失ってしまった魯では、これ以降公室の権威が地に堕ち、卿大夫の力が伸長して、公室をないがしろにし始める。

 同時期に斉は鄭の君主をすげ替えを行っており、かなり国力が上がっていることが窺える。襄公の弟の桓公の時に斉は覇者となって諸侯を九合することになる。

 魯の孔子は斉の桓公と宰相の管子に対してアンビバレントな感情を持っており、「中華を蛮族から救ってくれた」と二人を評価するかと思うと「管子は礼などわきまえていなかった」と酷評したりしている。「春秋左氏伝」も覇者桓公の評価が不当に低い。

 魯公を虐殺した斉が、次の時代に最盛期を迎えたことで、信じていた礼の秩序がなんの役にも立たなかったことになり、魯の人々は深刻なアイデンティティークライシスに見舞われたのではないだろうか?それが儒教の斉に対する相反する評価に現れているのではないかと私には思える。

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