彼等なりの矜持なのかも
【万国郵便連合記念日】
陰暦 九月十一日 【高良大社例祭】
bewaad@kasumigasekiやBaatarismの溜息通信、それにリチャード・クー先生の文章を読むようになって私も日本銀行に批判的な意見を持つようになりました。
それで今回主要国の中央銀行が協調利下げを行ったのに対し、日銀は動きませんでした。現在の日銀の金利誘導目標は0,5%ですので、協調利下げをする場合はゼロ金利政策に戻ることを意味します。当然上述のサイトは批判的な見解を示しました。
しかし、つらつら考えるに今の日本の制度では日銀がゼロ金利政策を自発的にとることは難しいのかもしれません。
金利をゼロにした上で、さらに実質金利を下げるためには、日銀が内国債や地方債を買い続けたり、株券や不動産を買い支えなければなりません。となると、これは現在の日本の法が日銀に課している物価の安定という役割を越えて、日銀が公共事業をやるのに等しくなります。
こうなってくると、日銀が積極的に、特定の自治体や産業を生かしたり殺したりすることになります。日銀の責任者達としては、国民の負託を受けたわけでもない、ただの公務員が社会の形を変えるような大それたことをするのはためらわれるのかもしれません。
日銀のサイトにある研究員の論文に、ゼロ金利政策の効果を説いたものがありました。平成14年(2002年)くらいに書かれたものでした。ですので日銀もデフレを抜け出す最も手っ取り早い方法がゼロ金利政策であると知っているはずです。
ゼロ金利政策は、役人が議員に命令を下すことに実質的に近いことになるので、戦前に官僚の暴走(※職業軍人も官僚に含まれます)によって日本を破滅させてしまった轍を踏む第一歩として、日銀は自ら手をし縛っているのかもしれません。
この躊躇をなくすためには、政府が日銀の行動にお墨付きを与える必要があるのではないかと思います。経済財政諮問会議が方針を出して、国会でそれを審査して、代議士達が決めた国策として日銀に迫る必要があるのではないか。
近ごろ経済財政大臣の存在意義も薄れ始めていますので、金融と経済をつなぐ閣僚として出番だと思うのですよね。金融大臣は銀行の管理ですのでこれはちょっと違うと思います。こういう仕事は経済財政大臣にこそ相応しい。
ただし、与謝野大臣の持論はゼロ金利政策から最も遠いところにあるのが最大の障害といえるでしょう。麻生総理はリチャード・クー氏の意見を参考にしているといわれていますので、日銀に金融緩和政策を行わせたいという腹案はあると思うのですが、与謝野氏がこれに素直に従うかどうかです。
運転資金すら出ない中小企業を助けるため、みたいな理屈をつければ案外折れるかもしれません。
思うのですが、政治家って状況に応じていくつかの腹案を抱えているのが当然で、たまたま表に出た意見と違う行動をし始めたからって、必ずしも変節じゃない。マスコミをつまらないところで一貫性を要求しすぎだと思うのです。
福祉を重視する、といいながら、福祉を削ればそれは変節だろうけれど、大目標が変わらなければ手段は色々変動してもかまわないと思います。
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