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2008年11月29日 (土)

インドの病理(一)

 インドのムンバイで大規模なテロ事件が発生しました。死者が二百人を越えるという報道もあり、日本人も少なくとも一名殺害されてしまいました。犠牲者の冥福をお祈りします。

 テロが許せないのはもちろんですが、今回の事件はインド社会の根深い病理が吹き出したもので、インド好きとしては無言でいることはできないので少し解説をしておきます。

 ご存知の通り、インドには数千年前から種姓(カースト制度・ヴァルナ制度)という強固な身分があります。ものすごく複雑なのですが、大雑把に言うとバラモン・クシャトリア・ヴァイシャ・スードラの四姓と不可蝕賤民に分けられます。

 四姓については仏教とからめて語られるので日本でも割合よく知られています。しかし不可蝕賤民のことはあまりよく知られていません。不可蝕賤民の起源はまだよく分からないそうなのですが、人口はインドの四分の一を占めます。

 彼等は湿地帯のような劣悪な環境に住むことを余儀なくされ、仕事も掃除や乞食などに限られています。掃除といっても箒やモップを使ってやるような生易しいものではなく、体を使って道路を磨くというような悲惨なもので、ほとんど乞食と変わりません。

 都市で悲惨な生業に就くことを余儀なくされている不可蝕賤民の他に、森林や山岳地では部族全体が不可蝕賤民とされている場合もあります。これなどは、インド文明の主流であるヒンドゥー教とは別の文明を保持している少数民族といえます。

 部族として僻地で孤立した生活をしていれば、その部族の中で差別されることはないかもしれませんが、周辺のヒンドゥー教徒から襲撃を受けることも少なくありません。しかしその場合も官憲は少数部族を助けてはくれません。それどころか州兵が襲撃に荷担することさえあります。

 このように過酷な差別を受けてきた不可蝕賤民にも転機が訪れました。ペルシャ系のムガール王朝によるインド征服です。不可蝕賤民は身分差別をしないイスラム教に救いを求めてイスラムに改宗しました。ムガール王朝もムスリムとなった彼等を保護しました。

 現在のインド史ではムガール王朝はヒンドゥーとムスリムの対立を煽ってインドの国力を弱めたと解説されることが多いのですが、ムガールのムスリム保護政策には不可蝕賤民の保護・生活改善の意味合いがあり、ヒンドゥーの弾圧も、不可蝕賤民に不条理な差別をする連中を矯正するつもりがあったのかもしれません。

 第六代皇帝アウラングゼーブなどは、ヒンドゥーからは悪魔と恐れられ、ムスリムからは聖帝と崇められています。アウラングゼーブの評価にはインド人のイスラム教に対する複雑な感情が如実に表れています。

 それと、これは確認が取れていなくて記憶でいっているので間違っているのかもしれないのですが、不可蝕賤民は多くが繊維産業に就いていて、二百年前まではそれなりに収入があって必ずしも貧民ではなかったものが、産業革命によって英国から安価な繊維製品が入ってきてインドの繊維業が壊滅したために、職を奪われて乞食をするくらいしかなくなったという説があります。

 インドにおけるヒンドゥーとムスリムの対決の裏にはこのように根深い社会問題があります。

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