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2008年12月 7日 (日)

記憶で辿る財政再建vs社会保障(一)

陰暦 十一月十日 【大雪】

 以前にも触れたかもしれませんが、私は昭和六十一年から六十二年まで一年半英国に住んでいたことがあります。その当時の英国というと福祉国家のモデルという扱いでした。

 まだ子供だったので細かいことは分かりませんでしたが、両親が福祉の充実にしきりに感心していたのはよく覚えています。外国人のわれわれですら医療費は無料(格安?)でしたし、給食もタダでした。

 けれども綻びも見え始めていて、病院に行けば半日待たされるのはざら(妹などは待っている間に熱が引いてしまいました)、失業手当が充実しすぎているため働かない(失業者が立派なアパートに住んで、大型犬を飼っていました!)、学校の設備はボロボロ学力は目を覆うばかり(水洗便所は流れないのが普通、しかも全然修理されず、勉強は日本よりも二年近く遅れていて私は何もしないで学年トップの成績に!)、EC加入の効果が出始め、日本企業の誘致もあって経済の立て直しに成功したサッチャー政権は社会保障への切り込みを開始しようとしていました。

 その頃のサッチャーさんの人気は相当なもので、ちょうど87年の総選挙もあって、学校でも選挙ごっこなどをしていました。しかし税制再建だ福祉国家の維持だなんのかんのと言いつつ、選挙結果はイングランドが真っ青(保守党のイメージカラーは青)、スコットランドとウェールズは真っ赤か(労働党は赤)という鮮烈な選挙結果を見て「主義主張なんてあんまり関係ないんじゃないの?」と子供ながらに思いました。

 その後サッチャー政権は大胆に歳出削減をしたようで、今では英国の社会保障支出の水準は日本よりもちょっと多いくらいにまで下がっています。

 英国に渡る前に父が予習として渡してくれた「イギリス人」という本があり、今思っても子供向けの歴史書としてかなりの名著だったのですが、この本で私は地に足が付いた民主政体とはなにか、そしてどうして福祉国家という思想が生み出されたのかを学びました。ですので元々私は福祉国家というものには漠然と憧れを持っていました。

 そして「日本も英国のように、医療費がタダになればいいのにな」くらいのことは小学生高学年くらいの頃には思っていました。これが80年代から90年代の初めにかけてなのですが、同様なことを考える人は大人にもいたようで、その頃の時事評論番組は財政再建を目指すか福祉国家を目指すかが大きなテーマになっていたように思います。先のように福祉国家に多少なりとも興味を持っていたので覚えています。

 しかし日本ではいつの間にか財政再建派の方が勢力を持ちました。その間の難しい話は当時は分かりませんでした。"国民一人あたりの借金"等のスローガンに脅されて、いつの間にか90年代の終わりには私も両親もガリガリの財政再建論者になっていました。

 今思うに、高齢化の進行によって、社会保障費の拡大は確実だったので、消費税の引き上げは避けられなかったはずなので、政治家と官僚は国民を「社会保障の充実」という飴でてなづけるか、「財政再建の必要性」という鞭で従わせるかのどっちが有効か議論していたはずです。そしてバブル崩壊後の不況の折でもあり、鞭を振るう方が有効だと判断したのでしょう。

 財政再建プロパガンダはあったと思います。ただし全部が全部政府の差し金とは思いません、戦後の日本人には借金を罪悪視する風潮が強いので、財政再建を唱えればテレビも新聞も受けが良かった、良心的に見えたというのはあると思います。福祉国家の本家の英国がその旗を降ろしていたのも追い風となったでしょう。

 現在の諸問題は、社会保障の充実を政治家と官僚が自ら封じてしまったことによって生じています。しかし社会問題を非難するマスコミも、それを解決するためには財源が必要であることは言いません。福祉の充実によって景気が好転した経験を日本人は持たないために、社会の指導者達が増税を言い出すことができなくなっています。ある程度まではあの時に鞭を選択した彼等の自業自得ですけれど。

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コメント

 そもそも徴税の直間比率の見直しの議論があって、所得税・法人税の減税と売上税創設はセットで税収は確保するということでした。売上税はその後消費税となりますが、創設当時の政治的混乱の演出が現在に至る社会保障の充実が停止した原因です。サービスは適正な対価を支払わなければならないはずが、ディスカウントすることが正しい世情=財政再建論へ傾斜したのだと。
 いっそう酷かったのが、政策を行うこと停止する手法として「構造改革論」で景気回復が、追い討ちをかけたのも痛かった。
 消費税の社会保障目的税の話は、売上税創設時からの話なんです。

 日本の雇用を支える中小企業の功績は否定するものではありませんが、こういった自営業者の不明朗な経理に自民党も社会党も全く手をつけなかったのも問題ですよね。

 それ故の消費税であったのでしょうが・・・

 それと中小企業の経営者というのは一人何役もこなさなければならないので、国家のような大組織でも、代議士や役人が働きまくればいくらでも金は搾り取れると思い込んでいます。

 この善意あふれる中小事業主達の、善意の集合がもたらす弊害は相当なものではないかと思うのです。

 国民が増税を認めない中での必要経費捻出策としての小泉政権の"構造改革"は今でも私は評価していますが、需要不足が問題となっている現在の日本では"構造改革"には景気を底上げする効果はないだろうと今は思います。

 まあ実際無駄はそれなりにあったんでしょうけれどね。これ以上省くのは無理でしょう。あるいは国の在り方を根本的に見直す必要があります。

 けれどもこれ以上国の財政的規模が縮小した世の中は、おそらく庶民にとって暮らしにくい世の中になってしまうと思います。

 あと半年で福祉国家の利点にどれだけ国民が気づくかが勝負でしょう。

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