本丸が見えてきた(結)ー理念的に正しいことと政府として目指すべきこと
陰暦 一月十八日
会社の保有者は本来は株主なので、会社は株主の利益を最大化するべきである。あるいは能力を持った人が成果の大部分を受け取るべきである(例えば発明品の特許収入を総取りすると言ったような)といった考え方は、その制度ができたときの理念上は正しいのかもしれませんが、必ずしも社会全体の幸福を拡大するわけではないというのは、ここ二十年くらいの先進国の模索によって分かってきたように思います。
米欧のバブル崩壊によってこのような市場原理主義が経済的な成功をもたらすわけではないことは明らかになりました。市場原理主義によって、利益を得る人がいるのは確かで、そういった人たちが、社会を市場原理主義に変えようと努力することを否定するものではありません。けれども、それと国全体が経済的に発展するかどうかは全く別の話で分けて考えるべきだと思います。
われわれはこの二十年間というもの、次元の違う話をごちゃ混ぜにして考えすぎていたのではないでしょうか。例えば福祉国家と政府部門の効率化は対立する話ではありません。リフレ政策と増税も対立する話ではありません。
なのに、経済の話をする人は、自分のお好みの政策を採用すれば、何から何まで解決できるかのように言います。学者は自分の理論の限界をきちんと認識するべきだし、メディアは次元の違う話をごちゃ混ぜにして視聴者を混乱させるようなことをするべきではありません。
すべて組み合わせだと思います。それこそが政治の仕事です。当然、実際の政治はまどろっこしいものになることもあるし、生活実感からすると納得しがたいこともあるでしょう。なのに、メディアとそれに乗せられた国民は、わかりやすさばかり求めて、政治家の手足をがんじがらめにしています。
国の役割というのは、まず国全体を豊かにすることだと思います。豊かになるとは、要するに国民全体の生活水準を上げることでしょう。
株主を守ったり、優秀な人の取り分を増やすと言ったことは、特定の人にしか恩恵を及ぼしません。そういった人たちのやる気は引き出せるかもしれないので、その範囲でやればいいと思いますが、国民全体の豊かさとは関係がありません。ですので、そういった競争優先の政策を求める人たちは、それが国民全体を豊かにするかのように誤解を広めるべきではありません。あくまで利益を得られる人間は限定されると言うことをはっきりとさせるべきです。
国全体を豊かにするには、そのような知能指数とか業種で限定されるものではなくて、財産の額とか年齢とか言った誰にでも当てはまる次元で政策を考えていくと言うことになるはずです。金を集めるにしても配るにしても、このように国民全体に網をかけられるレベルでやらないと、国を変えることはできないと思います。
結局、国から多くもらおうと思うのなら、まず今よりも多く出さなければ仕方ないと言うことです。また貧乏人が戦うべきは金持ちであり、与党政治家や官僚を叩いたところではした金しか出てきません。
本当に金があるところはどこなのか、どうすればそこから金を持ってきて、本当に欲しい人のところへ配ることができるのか。こういった事実からマスコミは国民の目をそらす仕事ばかりしてきました。もっと国家規模の統計データを使って話をするべきでしょう。マスコミは個別的な事象に没入しすぎです。社会を語るのなら、まず統計を徹底的に調べ尽くすところからスタートし直して欲しいです。
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