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2009年5月 3日 (日)

近世欧州史の教科書

陰暦 四月九日 【憲法記念日】

 オランダ独立の父にして現オランダ王家の祖である「オラニエ公ウィレム」の伝記に感動しました。特にレイデンの攻防戦の下りは涙が出てきそうになりまし た。

 徳川家康はおそらく、豊後臼杵に漂流し、徳川家康の外交顧問となったオランダ人ヤン・ヨーステンからオラニエ公の事績を聞いていたと思うのですが、だとしたら、オラ ンダが置かれている立場、スペインの実態、イングランドやフランスの立ち位置等、当時の欧州の情勢がたちどころに理解ができたのではなかろうかと思いま す。

 なんでかというと、オラニエ公というのは個性も立場も独立運動で果たした役割も非常に足利尊氏と似ているからです。本来後醍醐天皇の忠実な臣下であったはずの足利尊氏が、後醍醐天皇とその近臣の現実を無視した政策によって、武士達から期待を 一身に集めていき、朝廷に反旗を翻すことを余儀なくされるまでの筋書きは、南朝を旧教国、北 朝を新教国に当てはめて、スペイン王フェリペ二世のネーデルランドの現実を無視した旧教押しつけ政策に よって、本来ハプスブルグ家最良の家臣となるはずであったオラニエ公を反乱軍の指導者に押し上げていくまでの話に瓜二つです。

 徳川幕府は、オランダ独立戦争を太平記に照らし合わせて、欧州情勢を理解したのではないか?そのように考えたくなりました。

 時間があれば、詳しい解説を書きます。

 ちなみに日本はオランダが正式な独立国として欧州全体から認められた1648年よりもずっと前から国交を結んでいる国です。ナポレオン戦争の時も、本国は消滅したのに、長崎の出島にはオランダ国旗がはためいていました。オランダも植民地を取られたなんてケチなことばかりにこだわらずに、こういった歴史をきちんと自国民に教えてもらいたいものです。

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