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2009年5月24日 (日)

核兵器と世界平和

陰暦 五月一日

核兵器と世界平和

 今日の世界に核兵器の実験が好きだというものはない。あれば気ちがいである。日本においてことに然り。日本人が核実験を悪み、厭うべき特殊の権利と資格を持つことは、今日誰争うものもない。

 そんなら核兵器の実験を止め、更に核兵器一切を廃棄すれば、それで世界の平和はすぐに間違いないか。問題はそれほど簡単ではない。

 米英政府は多くの反対の声を聴きつつなお、実験を続けるようである。このことは、彼等が、我々が考えるよりも遙かに真剣にその必要を考えていることを示すものである。平和の擁護のために、それを必要やむなき悪と考えていることを示すものである。

 核兵器によって果たして平和が擁護されるか否か。それは、いくらでも議論のできる問題である。ただ一つ争いがたいことがある。それは、米英始め西欧陣営一般の当事者が、核兵器を、世界の現状において、平和を擁護し得るほとんど唯一の現実的手段と考えていること、これである。この考えが正しいか否か。それは無論議論できる。ただ彼等が真面目にかく信じていることは、争いがたいと、私は認める。

 米英人等仮にいかに物好きであっても、慰みや娯楽のために核兵器の実験をするものではない。あれほどの反対のある実験を、敢えて彼等が止めないのは、決して好んで世論に逆らうためではない。彼等としては、世界の不評も反対も、平和のためにはかえられないという、真剣な考慮があることを察しなければならぬ。それを弁護するか。非議するか、それは人々の自由である。ただこの事実の事実であることは、全て誠実に平和のことを思うもののまず認めなければならぬところであると思う。

 この点、自国の防衛を他力に委ねてしまったような形の今日の日本では、人々は現実と離れて、綺麗ごとの言論にふける嫌いはないか、どうか。私はそれがあると思う。私はもとより核兵器の実験を嫌い、悪む。しかし、それよりも一掃強く世界平和の確保を願う。

 世界平和のための根本禍因は、諸国民相互間の危惧と不安の念であるが、不幸にして今日自由主義国の共産主義国に対して抱く危惧の念は、なお相当深いように見える。共産側をしていわしむれば、それは、資本主義国の無用の猜疑だというであろう。しかし、米英側としては、その安んぜぬ理由を挙げ得るはずである。それはまた我々にも、たやすく察し得るところである。

 第一は、共産兵力の優勢である。先頃ソ連は陸上兵力の相当の削減を発表した。しかもなお今日ソ連と中共とを合わせた共産兵力の現勢が、自由主義諸国のそれに対し圧倒的に優勢であることは何人も争わぬと思う。それは数字を上げるまでもないことである。そうしてこの不均衡がある以上、これをそのままとして、単に核兵器の廃棄のみを問題とすることを西欧側が肯んじないとしても、これは無理ではない。

 次に西欧諸国民は一般に独裁国の政策決定及びその変更に対して常にある不安を抱いている。独裁政治家によって、何時、何が行われるか分からぬという不安である。これには西欧側の過憂もないとはいえぬ。しかしまた、それを全く無用の危惧だとして斥けるべきではない。先のベルリン封鎖、朝鮮動乱の突発、近くはハンガリーの武力弾圧は、いずれも西欧諸国民に対する激しいショックであった。そうして、みなこの危惧を強めないわけにはいかなかった。

 議会政治の国では、今日他国に対する奇襲攻撃を行うことは、ほとんど不可能であるが、独裁国ではそれが可能であると、人々は感じているように見える。ハンガリー弾圧と時を同じくした英仏のエジプト派兵(引用者注:スエズ動乱)に対し、英国国内には強い反対論が起こったが、ソ連国内の世論はハンガリー弾圧に対して沈黙した(当時国外に聞こえた限りにおいては)。独裁国人民がその為政者を抑制せず、その意の如くに笑い、もしくは怒るように見えることは、西欧国民の当然不安とするところであろう。

(中略)

・・・ただ一つ確かなことは、ソ連がいやしくも奇襲攻撃を企てているのでない限り、相互査察の実行によって何物も失うことがないはずだということ、これである。すでにわれに失うところなくして、しかも他人の不安を除くに役立つものがあるとすれば、平和共存を願うソ連としては、是非試みなければならぬものではないか。

 最近の国連会議において北極海の査察が議題となり、これに対する賛成の声の賑やかであることは喜ばしい。もし更に進んで、何時かソ連自身もまた全面的査察に同意して、両陣営互いに自由に相手国の軍備の実情を空から見下ろし合うようなことになれば、軍縮の協定も、核実験の廃止も、全て実行きわめて容易となり、世界平和のために一新段階は迎えられるであろう。全てのものには順序と階段がある。日本としては、まず全力を挙げてその友邦の提案を支持して空中査察の実現を促し、しかる後において、更に多くの善きことのためにその力を致すべきであろう。それはその友邦を援け、そうしてまた世界平和の確保に実効的に寄与する所以である。

 かつて「向ソ一辺倒」という言葉を唱えだしたものは毛沢東氏であった。しかも、この言あるによって、今日何人も共産中国を軽んずるものではない。もし「アメリカ一辺倒」というごとき批判を恐れて、いうべきことも言わず、行うべきことも行わぬものがあるとしたら、それは決して智者でも、勇者でもない。他国政治家のことながら、毛氏があえて信ずるところをいって憚らぬ態度は、この点甚だ快く思われる。

(「産経」昭和三十三年五月五日)

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