家綱時代の経済政策(一)
陰暦 五月八日
徳川家綱の時代の経済政策を整理してみました。「江戸時代年鑑」(雄山閣)より。
慶安三年(1650) 御陰参り
慶安四年(1651)
- 四月 三代将軍徳川家光没徳川家綱四代将軍に就任、家光の遺言により保科正之が補佐役となる(大老よりも上)
- 七月 由井正雪の乱、江戸で両替屋が開業する
承応二年(1653) 玉川上水建設案が許可される
承応三年(1654)空米切手の発行禁止
- 玉川上水完成
- ポルトガル船の来航禁止
- 利根川本流流路変更工事完工(江戸湾から太平洋に流れるように開削)
承応四年(1655)
- 四月 糸割賦法廃止(輸入生絲の価格統制の終了)、商取引に手形使用を奨励
- 八月 金と銅銭の交換比率違反の罰則規定ができる
- 十二月 金と銅銭の交換を時価によらせる
明暦三年(1657)
- 正月 振袖火事
- 米価の騰貴を禁制(三月には細工物の禁制も出されている)
- 八月 職人の手間賃の騰貴を禁制
- 九月 商人、職人の同業仲間を禁止
明暦四年(1658) 江戸からの駄賃(輸送運賃)が公定される
万治二年(1659)
- 長崎商人の鋳造新銭での外国貿易を許可(これまでは幕府は銀貨、銅貨の海外流出を抑制していた)
万人三年(1660)
- 大坂で米市と手形による先売りを禁止
- 東海道の宿場に助成金施与
万治四年、寛文元年(1661)
- 三月 オランダとの通商条約を改定、長崎におけるオランダと支那の商人の貿易を禁止
- 六月 金一両=銭四貫文の交換比率厳守、撰銭(傷んだ銅銭を額面価値以下でしか受け取らないこと)の再禁止
寛文三年(1663)
- 五月 東海道の定六飛脚開業(江戸大坂を月に三回往復する町飛脚の定期便、手形取引決済に使われた)
- 六月 江戸商人の売り上げ取り立ての訴訟上裁は江戸五、六里四方内とする
- 九月 大坂の米取り引き期限を短縮
- 十月 江戸問屋、商人の掛け売りを規制
寛文四年(1664) 蝦夷地との直接売買禁止
寛文五年(1665)
- 八月 遠国の寺社領に朱印状を初めて下付、拒否した日蓮宗寺院(不受不施派)の弾圧
- 十二月 水戸藩淫祠三千あまりを破壊する
寛文六年(1666)
- 二月 天領で焼き畑禁止、植林奨励策(水害防止)
- 三月 酒井忠清が大老になる(酒井忠清の独裁時代の開始)
- 五〜八月 東日本で大水害
- 十月 江戸で車借金(数人が連帯の証書で起債し、毎月輪番に償還する借金の方法)を禁止
- 十一月 人身売買禁止令、年季奉公(非正規労働者)年限を十年以内とする、田畑売り買い質入れの禁止
まずは前半の保科正之補佐時代です。以前価格革命のエントリーで、鎖国はメキシコ銀の旧大陸流入による世界的インフレの日本侵入を規制する制作であったことを指摘しました。家綱時代には支那でもインフレは一段落します。日本の方でも、武家による生絲の贅沢消費が収束に向かい、生絲の輸入需要は減少しました。そこで取引量が縮小して無害になった長崎貿易の自由化が行われました。
続いて、金貨の価格安定策(物価安定策)が行われています。江戸時代の日本は西国では銀貨が正貨として使用され、東国では金貨が正貨として使用されていました。金貨の価格安定策は、日本一の消費地である江戸の物価を安定させる政策でした。
空売り、掛け売り、手形の記事も増えています。世の中が安定し、信用取引が活発になっていることが分かります。商業資本が誕生するための基礎的な条件がそろい始めたといえるでしょう。また、まず庶民の間で借金が活発化したといえるかもしれません。
この頃から、経済の主体は武家による贅沢消費(城屋敷や神社仏閣の建設、華麗な武具、衣服の消費、大規模な祭礼の開催)から町人(庶民一般のこと、江戸時代は農民も町人と言っていた)の生活消費に移ってきたといえます。
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