家綱時代の経済政策(二)
陰暦 五月十日
酒井忠清大老時代です。
寛文八年(1668)
- 二月 問屋や商人が米・大豆・小豆・大麦・小麦・酒・塩・薪炭・荏油・菜種油・胡麻油・諸魚油を買い占めて、他人の倉を借りても貯蔵するのでその員数を注記させ、需用者に買い取らせる
- 三月 長崎貿易での輸出入禁制品を指定する(輸出禁制品は棉・絹・織物類・蝋燭・銅類・油・船内での消費をのぞく酒類、輸入禁止品は菜種以外の植物類・生物・小間物道具・薬種にならない唐物類・その他贅沢品)
- 五月 長崎貿易での支払いは銀を止めて金とする
- 関東天領の総検地実施
寛文九年(1669)
- 二月 京升と江戸升を統一
- 幕府、武蔵野・上野笠懸野・下総椿海の開墾開始
寛文十年(1670)
- 四月 幕命で長崎貿易商人末次平蔵建造の五百石積オランダ船型の船を品川に廻航
- 六月 新寛永通宝銭と古銭を混ぜての取り引き、銭屋・両替屋での混用を禁止
寛文十一年(1671)
- 七月 陸奥天領年貢米の江戸輸送航路が開発される(東廻り航路)
- 長崎仕法始まる(貿易統制)
寛文十二年(1672)
- 四月 食品価格を毎月二日に報告させる
- 五月 食料品の発売期日を決める
- 十一月 出羽天領米の江戸輸送航路開かれる(西廻り航路)
寛文十三年・延宝元年(1673)
- 五月 イギリス商船が長崎に入港し通商回復を要請
- 七月 幕府、拒否
- 九月 琉球貢船が海賊船のために略奪される、市川団十郎江戸中村座で初舞台
- このころ、江戸で大八車が使用される
延宝二年(1674) 二月 貨幣交換比率公定
延宝四年(1676) 五月 長崎で密貿易発覚
延宝五年(1677) 二月 菱川師宣「江戸雀」を刊行
延宝六年(1678) 八月 茶屋女の規制(無許可の水商売の禁止)
延宝八年(1680)
- 五月 将軍家綱死没、大老酒井忠清は京から有栖川宮幸仁親王(後西天皇皇子)を将軍に迎えようとするが水戸藩主徳川光圀や老中堀田正俊の反対のために実現せず。
- 七月 徳川綱吉が将軍就任
延宝九年(1681)
- 二月 酒井忠清が隠居
- 三〜五月 関東と奥羽で強訴、越訴が続発
- 十二月 綱吉、堀田正俊を大老とする、牧野成貞を側用人とする
きちんと流通業の在庫を把握しています。それと同じような記事が重なるので割愛したのですが、この時期には酒造や煙草の栽培の制限が立て続けに出されています。米の値上がりによる民生の不安に幕府は気を遣っていたらしいことが分かります。しかし都市向けの商品作物の栽培は全く収まることはありませんでした。
寛文十年頃に、幕府に貿易の振興を狙った動きが見られますが、どうやら失敗したようです。その後逆に貿易の制限は強められました。
物価の調査月報も出していたようで興味深いです。食品の発売期日なんて規制までありますが、これは初物や促成栽培(温室栽培はすでにあった)が物価を引き上げていると幕府がみなしていたためでした。
延宝四年頃から急激に経済統制や新制度設立の記事が減少します。この頃に基礎的な制度の整備が終わり、元禄期の空前の繁栄を迎える準備が整ったといえるのではないでしょうか。
« 二酸化炭素の発生源 | トップページ | まだ諦めるのは早いでしょうに »
「歴史:武家」カテゴリの記事
- 稲毛三郎重成(源頼朝の弟たち)(2021.02.06)
- 小御門神社(2020.08.22)
- 正しい時代劇(2010.12.08)
- 神田明神が江戸の町の守り神なわけ(2010.11.22)
コメント