沙石集を読む(五)・・・「正直の人宝を得ること」
沙石集のページのアクセス数が多いので(教科書にでも載っているのかもしれません)久しぶりに続きを書いてみます。
陰暦 六月六日
巻六 十一「正直の人宝を得ること」
最近支那から日本に帰ってきたお坊さんから聞いた話としてある人が言うには、宋朝(支那の王朝)に貧しい夫婦がいた。餅を売って生活をしていた。ある時 道の横で餅を売っていると、人が袋を落としていった。中を見たら銀の小判が六つ入っていた。そこで夫は家に持って帰った。
妻は心が素直で欲のない人であったので「私達は今の商売でなんとか暮らしていけます。けれどもこの袋の持ち主はどれほど困っていることでしょうか。可哀相なことです。持ち主を捜して返してあげましょう。」と言った。夫もそうだなと思い、広く触れ回ったら持ち主という者が現れた。
持ち主は大いに喜んで、小判を三つお礼として差し上げましょうと言ったが、渡すときになって惜しくなって「小判が七つあったはずなのに、六つしかないのは何故だ、お前達が一つ盗んだのだろう」と言い出した。
夫婦は「そんなことはありません、最初から六つしかありませんでした。一つ猫ばばするつもりだったのなら、なんで最初から持ち主を捜したりしましょうか」と言い合って、果ては地方長官の前で申し開きをすることになってしまった。
その長官は聡明な人物で、持ち主が不実で、夫婦が正直者だとすぐに見抜いたが最終的な確認を取るために夫と妻を別々に尋問したが、両方とも全く同じことを言った。さて、長官が判決で言うには、「この二人は正直者である、一つ盗むくらいならば持ち主を捜したりはするまい。そうでなければ最初から六つ全部盗むはずだ。この持ち主が落とした小判は七つだという。ならばきっとこやつが落とした小判はこの小判ではないのだろう。お前は七つの小判を探すがよい。」といって、小判を六つとも夫婦に与えた。
宋朝の人もこれを素晴らしい判決だと褒めそやしたということである。
心が素直であれば、天がひとりでに宝を与えてくれる。心が曲がっていれば、冥王(閻魔大王)の咎めで財産を失うのである。返す返すもこの心がけを守って、正直に生きて、冥王のご加護を願うべきである。聖徳太子のお言葉にも「策略によって眼前の利得を得ることができたとしても、最後は仏神の罰を受けて終わるのだ。正直であることによって今日明日の利得を失うこともあるかもしれないが、必ずお天道様やお月様の哀れみを受けることができるのだ」とあるが、本当だったのだなと感じた。人並みの心を持った人はこの心がけを念ずるべきである。
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