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2009年7月25日 (土)

上海日蝕観察記 その三

陰暦 六月四日

 上海にはちょうど二十四時間滞在しただけでしたが、色々と面白いものを見ることができました。

 これは宋慶齢記念館です。宋慶齢は戦前の広東の大富豪である宋家の姉妹(三姉妹と呼ばれることが多いが本当は四姉妹)の次女でした。客家で海外の華僑の間にネットワークを持つ宋家は、支那を近代化するために孫文の革命を全面的にバックアップしました。

 ちなみに孫文も客家です。客家とは支那の南部に暮らす独特の風習を持った本貫地不明の民族です。漢族の習慣を取り入れた苗族などの長江流域の周辺民族なのではないかとされています。

 宋慶齢は孫文の秘書として働くうちに親交を深め、亡命地の日本で孫文と結婚しました。孫文の死後は国民党と中国共産党の連携に努めました。そのため、国民党系の人物ながら中華人民共和国で副主席までなります。おそらく共産統治下における国民党の残党の保護者だったのはないかと思われます。

 国共内戦はかなり激しかったのですが、中華人民共和国の建国後に国民党のシンパは(支那の歴史の基準で言って)それほどひどい迫害は受けていません。彼女の尽力なのでしょう。ですので元々国民党の勢力が強かった上海では今でも慕われているようです。北宋における柴宗訓みたいなもんですね。

スターリンから贈られたリムジン

 この記念館は宋慶齢の旧宅を利用したものです。住居も観覧できたのですが、撮影禁止だったので残念ながら写真はありません。趣味の良い家でした。よくでてくる孫文の写真がありました。金日成から贈られた絵もありました。飾ってある陶磁器のお皿がきれいでした。

 これが多分彼等の有徳人の生活イメージなんでしょう。

 続きまして、中国らしいスナップ写真をどうぞ。

かの有名な竹と紐だけで組んだ足場です。竹は丈夫ですね。あと紐の摩擦力というものは大したものだと思いました。

観光地や公園には必ずいるお掃除おじさん。内陸からの出稼ぎでしょう。

支那名物、シャツいっちょで自転車をこぐおっさん。

上海鉄道博物館。残念ながらお昼休みで入れませんでした。

上海メトロ

支那で一般的な電気機関車

お昼を食べた新天地(美観地区)の料理店。

なんだかんだで楽しい旅でした。急なお願いだったにもかかわらず、温かく迎えてくれたD君ありがとうございました。

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コメント

 皆既日食は残念でしたけど、充実した旅行だったようですね。三連休も含め結構長めに行って他の地域も廻るのかと思ってました。
 良い気分転換になって良かったですね。

 20日は仕事でした(^^;

 中国はマジで英語が通じないので私にはハードルが高いですね、行ってみたいところは沢山あるのですけれど。

 でもいい気分転換になりました。

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