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2009年9月27日 (日)

易経勝手解釈(五)ー火山旅

陰暦 八月九日

 旅というのは古代ではふつう軍事行動、集団行動をさします。後代の儒学者はどうしても火と山と旅が結びつかなかったらしく、山火事から逃げるような不本意な旅などと苦しい解釈をしていますが、これは読んで字のごとく山火事のことでしょう。

 山火事は山火事でも焼畑です。管子には焼畑の記述があり、四川や雲南の山地では今でも焼畑農業が行われています。西周の頃はまだ華北にも森林が残っていましたので、盛んに焼畑が行われていたと思われます。焼畑はほとんど耕したり肥料をやったりしなくても収穫ができるので効率がよい農業です。森林の回復を上回るスピードで人間が森を焼かない限りは十分に持続可能な賢い農法です。 

 焼畑は火をコントロールするために、火の通り道を造ったりと入念な準備をしてやります。それを軍事行動と結びつけて「旅」と表現したのでしょう。

(46)火山旅(かざんりょ)
卦辞
伝統的解釈
べっちゃん解釈
旅は小し亨る(とおる)、旅は貞って吉  次から次へと燃え移る火から逃げているイメージ。
 失意の旅。旅人には安住の地はないので、小さな願いしか叶わない。
 知り合いがいない旅の空でも、「旅の恥はかきすて」と投げやりにならずに、正しさを失わなければ吉である。
 焼畑農業をするために山に火を付けるのが旅である。
 旅の時には山の神様にお伺いを立てると良い。
爻辞
伝統的解釈
べっちゃん解釈
上九 鳥その巣を焚く、旅人先に笑ひ、後にはさけびよばう、牛を喪して易するは凶  旅人なのに驕り高ぶっていると、最初は笑っていられるかもしれないが、最終的には泣き叫ぶことになるだろう。  木の上の鳥の巣まで焼けて山焼きが終了した。
 まず笑い、次に泣き叫ぶ礼をして山の神を慰める。
 山焼きが終わった後に牛を捧げる祭をしてはならない。
六五 雉を射て一矢を亡う、終にもって誉命あり  雉を射て、最初の一本は外すけれど、最終的には射止めて名誉と爵位を得るであろう。  炎に巻かれて逃げてきた雉をあやまたず一矢で仕留める(日本の言い伝えでは雉は山焼きの時にも卵を守ってなかなか逃げないとされている)。
 弓矢の腕を主君から褒められて褒美を得るであろう。
九四 旅のとき于に処る(おる)、それ斧を資る(とる)ことを得たり。わが心快からず。  柔軟謙遜な旅人なので、安心して野宿できる場所を見つけることができる。
 露営(テントを張る)ために必要な斧も手に入れることができた。
 火が横道(于の原義)にそれそうになる、その時は延焼を防ぐために周囲の木を切っても構わない。
 延焼が防ぐためには仕方がない(おそらく緊急避難的に伐採許可が得られていない森林を切っても構わないという意味)。
九三 旅を焚くはそれを次げる。それ童僕は喪をし、れい(厂に萬)を貞う、またもって傷つける、旅はもって下よりす、その義を喪う  旅をしながら泊まった宿が火事になり、お供に逃げられる。  山に火をつけるときには、(山の神や動物たちに逃げるように)呼ばわる。
 神官は哭礼をし、自傷をして山の神を慰める。
 延焼を防ぐために火は山の麓から点火する。犠牲を捧げても良い。
六二 旅は即ち次げる(つげる)、その資(たから)を懐く、童僕は貞うことを得たり、・・・終に尤なからん  旅の時に安心できるのは宿に着いたときである(伝統的解釈では次を"やどる"と読む)。
 忠実なお供であれば咎はない。
 山焼きをするときには、山の神様にそのことを告げる祭を行う。
 財物を捧げて、神官は山焼きをして良いかどうか神様にお伺いを立てる。そうすれば神の祟り(咎の原義)はないであろう。
初六 旅の時瑣瑣(ささ)たり、これその災いを取るところなり  こせこせ(瑣瑣)とした小人(初爻でしかも陰なので小人となす)が苦しい旅に出ている。
 自分から災いに赴いているようなものだ。
 山焼きの時には細心の注意を払って、周囲に延焼しないように木の伐採をする。

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