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2009年10月21日 (水)

麗しの皇妃エリザベト

陰暦 九月四日

 古本屋で見つけた「麗しの皇妃エリザベト」を読んでいます。エリザベト(エリザベータ、エリザベス、イザベル、エカチェリーナ)という名前の有名な王族 は何人かいるのですが、この本は19世紀後半のオーストリア・ハンガリア二重帝国皇帝のフランツ・ヨーゼフ一世の皇后エリザベトについてです。

 エリザベータはドイツのバイエルン王家のお姫様で、おおらかな両親の元で自由奔放に育ちました。そして十六の時に、姉のヘレナとオーストリア皇帝のお見合いの席に同席するのですが、フランツはエリザベトの方に一目惚れしてしまい、熱烈な求愛の末に二人は結婚します。

 しかしフランツの母親ゾフィー皇太后は保守的な女性で自由気ままな生き方を貫くエリザベトにことあるごとに辛く当たります。フランツは 妻と母の間を取り持とうと努力はするのですが、帝国の統治に忙しくエリザベトを守り切れません。ついにエリザベトは精神の平衡を失い、ウィーンを離れて旅 に生きるようになります。

 エリザベトの孫娘の皇女エリザベトの生涯、フランツ・ヨーゼフ一世の生涯を書いた本は既に読んでいますのでエリザベト皇后の生涯につ いても概要は知っていました。けれどもエリザベトがウィーンの宮廷を嫌いつつも、夫婦の間には生涯細やかな愛情が流れていたと言うことは今回伝記を読んで 初めて知りました。

 人間の心理は複雑です。フランツ・ヨーゼフ一世は「帝国一の子役人」とあだ名されたくらい仕事熱心で倹約家の君主で、頭は見事にはげ 上がり、性格も頑固一徹でした。それがどうして、絶世の美女で四十になっても二十代と間違われ、美容や旅にと浪費を続けたエリザベトと意気投合たのか不思 議でなりませんが、フランツ・ヨーゼフ一世が仕事に打ち込むことができたのも、自分の半身とも言える妻が自由な生き方を代わりにしてくれていたからかもし れません。

 エリザベトのウィーン嫌いや旅狂いも無駄にはなりませんでした。彼女の美しさと真摯な性格は、朴訥なハンガリー人の心を動かし、分裂 直前まで追い込まれていたオーストリアとハンガリーの統合を大いに進めました。行く先々で彼女は人々の心を魅了し、オーストリア帝国の好感度を高めまし た。エリザベトがフランツに強い影響力を与えていた期間、オーストリア帝国は大きな戦争に巻き込まれることもなく、マリア・テレジア帝以来の繁栄を謳歌し たのです。

 今エリザベトが四十になったあたりまで読みました。この後彼女の身の回りには不幸が襲い、オーストリア帝国にも列強の干渉や民族主義の影が迫るのですが、それについてはまた後日。

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