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2009年11月22日 (日)

昨日の不思議発見と卑弥呼と大和朝廷

陰暦 十月六日 【小雪】

 昨日の「日立不思議発見」は巻向遺跡と卑弥呼がテーマでした。良くできていたと思います。皆既日蝕が続けて起きたことは知っていましたが、初めが日没と同時の日蝕で、翌年が日の出と同時の日蝕というのは知りませんでした。古代の人はかなり驚いたことだろうと思います。

 あの番組では触れていませんでしたが、皆既日蝕の状態で日没になると、夕方なしで、日没と同時に漆黒の闇に包まれますので、かなり恐かっただろうと思い ます。また皆既日蝕の状態で日の出となる場合は、一度朝焼けになったのが再び暗くなって夜に戻り(地平線の下で日蝕が既に始まっているから)、その状態で 黒い太陽が昇ってくることになりますので、これもまたかなり劇的であったろうと思います。

 太陽は、どこの古代文明でも信仰されていたのですが(エジプトが有名、古代支那の商〔殷〕王朝も太陽崇拝、ケルト人も太陽崇拝)儒教 やキリスト教といった新しい宗教が広まるにつれて太陽崇拝は力を失っていきました。それなのに主要な文明では日本にだけ現代まで太陽崇拝(皇室を中心とす る神道、神道を意識していなくても朝日に手を合わす人は今でも多い)が残ったのはこの時の劇的な経験が影響しているかもしれないと番組を見ていて思いまし た。

 神仏混淆の中世の国家宗教である真言密教と天台密は、大日如来(やはり太陽神)と天照皇大神を一体とみなす信仰ですので、太陽崇拝です。

 卑弥呼と大和朝廷の関係についてはまだ不明な点が多いです。卑弥呼・台与と女王を崇拝していた三世紀の倭人が、四世紀以降はなぜ男の王 が基本になったのか。また、大和に本拠地を置いていた皇室がなぜ日向(宮崎県南部と鹿児島県東北部)を自分たちの発祥の地と主張してきたのか。

 大和の神社に祀られている神様は基本的に出雲系がほとんどで、女神や天孫系の神様がいないのはどうしてなのか。さらに卑弥呼の変形で あると考えられる天照皇大神(あまてらすおおみかみ)はどうして大和ではなくて伊勢に祀られているのか。しかも伊勢神宮公式の神話では、大和を追い出され た太陽神の巫女である倭姫命が近畿地方南部を放浪した末に伊勢にたどり着いたことになっており、一時的な太陽崇拝と巫女崇拝の断絶が窺われる。・・・な どなどといろいろな疑問が残っていて、おそらく卑弥呼の政権と現在の天皇家は直接にはつながっていない可能性が強いのではないかと私は考えています。

 神武東征神話にあるように日向から大和を征服したのか、崇神天皇の伝説や継体天皇の即位の経緯から推測されるように入り婿の形で大和に入っ たか、あるいは神功皇后の三韓征伐の神話から推測されるように外国からやって来た可能性も否定できません。邪馬台国もおそらく全国統一政権ではなかったと 考えられますし、まだまだ古代のロマンはつきることがありません。

 ところで最近の野々宮真はぶっとんだ解答が減ってちょっと物足りない。

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コメント

邪馬台国問題は良く議論したのですが、
ロトさんはお元気でしょうか?

私は7.8年前に形勢不利とみて九州説から大和説に寝返りました(苦笑)

隋書では、大和朝廷は魏志でいう3世紀の邪馬台国の事だ、と記されている。
絶対確かな事だとは断言できないけれども。私は一応、信じる事としました。

最近では神武天皇から10代目の祟神天皇の姑とされる「やまとととびそももそ媛」の墓とされる箸墓築造年代が250年前後だとほぼ99%確定したようです。自然科学測定は覆らないでしょう。

つまり隋書に記された邪馬台国の続きである大和朝廷は、250年前後には奈良に存在していたという事になるわけなんですね。

隋書の記録を信じるか、信じないかという問題なんですかね。

それと、魏志に記された径百余歩(145m余)の倭王墓も、もはや、九州では見つからないでしょうな。いけない、いけない、熱くなって来ました。すみません。

 菊池さんこんにちは。今日は風邪をひいてしまい、寝込んでいました。

 ロトさんは元気ですよ。たまに携帯のメールで連絡を取っています。お仕事が忙しくて古代出雲掲示板にはなかなか書き込めないようですが、きんたろうさんのホームページに顔を出してくれることもありますので、そちらの方をご覧になってみて下さい。

 邪馬台国畿内説はほぼ確定的のようですね。でも大和の神社の分布とか神話を見ていると何度か大和を支配する勢力の塗り替えが起きているような感じです。

 私も易経と詩経の研究が一通り済んだら(三年くらいかかりそうですが)日本書紀に取りかかろうと思っています。春秋・詩経・易経の知識が古事記・日本書紀・万葉集を解く鍵になるはずというのが私の持論です。

 本当は礼記と書経も読むべきなのでしょうが、この二つは日本書紀に輪をかけて難しそうなのです(^^;>

 支那では商(殷)のことは甲骨文と史記から割合分かっているのですが、支那の文化の核を作った西周のことはよく分かっていません。書経は西周の行政文書で、礼記は西周の儀式の細目です。

 日本でも支那でも自分たちの歴史の核が形成された時代(日本で言えば空白の四世紀、支那で言えば西周)がなぜか解明されずに残っているのです。

野々村じゃね?

そうなんですが、かなり昔の書き込みなので修正するのがものすごく大変でして、見逃してください。

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