「易経」の成立(3)-卦辞
陰暦 十一月十八日
あけましておめでとうございます。今年も「静かなる細き声」をよろしくお願いします。
卦辞(卦の全体の意味を説明する文章)は方位占いの要素がとても強いです。各方位の評価には偏りがありまる。
- 震(東)がやや冷遇されている(特に東→西の移動を最悪と評価している)
- 兌(西)が優遇されている
- 坤(西南)が朋(同盟者)とされている
- 楚・晋・秦などの春秋時代の大国が全く登場しない
- 戎、鬼方などの古い異民族が登場する
- 北~西、と南~東に「大川」が配置されている
- 海の要素が全くない
ことなどから、商末周初の国家の配置が反映されているのではないかと私は推測しています。
ですのでおそらく卦辞を最初に作成したのは西周の人物で、さらに初めは八方位ではなく六方位だったのではないかと思います。
私が推定する配置は
北----坎---水・・・・・・・・鬼方(河水の屈曲部、沙漠)
北東---艮---山・・・・・・・・燕・斉・魯(君子、泰山)
東~東南-震巽--雷風・・・・・・商(帝乙、震:神政国家、羑里)
南~南西-坤離--火地・・・・・・召(朋、大人)
西----兌---沢・・・・・・・・周
北西---乾---天・・・・・・・・戎・西域(畜:遊牧民、天道思想)
大川・・・河水(黄河)、東南(巽)に渡河点(孟津)を配置
卦辞を分析していくと、南から北、北西から南東などといった対蹠点への移動は概して警告的な内容が多く、直線的な経路で遠方へ行く事を忌避する思想があったのではないかと私は推測しています。
迂回路を通ることを推奨するような卦辞も見られ、方違えの要素がかなり古くからあったらしいこともわかります。
私は「易経」の卦を64卦6爻に再編し、卦辞を完成させて現在の「易経」の骨格を作った編集者として鄭と衛の卿、とくに鄭の子産をあてたいのですが、秦・晋・楚・斉などの大国の軍旅によって国を蹂躙されることを嫌がった中原諸国の編集者が「易経」に方違えの要素を持ち込んだ名残が、中央(中原諸国)を通過して最短距離へ移動することを忌避する「易経」の卦辞の体系に表現されているのではなかろうかと思っています。
また、「易経」の方違えや特定の方角を封じ込めようと言う意図は、「古事記」と「日本書紀」の編集に大きな影響を与えているのではないかと言うのが私の推定です。ただし記紀神話の場合当代の朝廷である大和は東にあり、封印するべき古い神々は出雲や九州といった西方にあるので易経とは方位が一部逆になっているように思います。
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べっちゃんさん、あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。
年末に「新小児科医のつぶやき」
http://d.hatena.ne.jp/Yosyan/20091230
■藤原不比等と日本書紀
■継体天皇
■蘇我氏
■不比等の工作
■大化の改新
■天武天皇
■隋書倭国伝
■エピローグ
を読んでましたが、
>また、「易経」の方違えや特定の方角を封じ込めようと言う意図は、「古事記」と「日本書紀」の編集に大きな影響を与えているのではないかと言うのが私の推定です。
>>ただし記紀神話の場合当代の朝廷である大和は東にあり、封印するべき古い神々は出雲や九州といった西方にあるので易経とは方位が一部逆になっているように思います。
出雲・吉備・九州の西方は渡来系の影響は道教を主とし、東方(五畿、北陸、濃尾参信州)は、渡来系でも秦氏系の影響が強くなったことにより、べっちゃんさんが指摘するような「方違え」を意図的に行う必要に迫られたということでしょうか?
投稿: 保守系左派 | 2010年1月 3日 (日) 10時51分
保守系左派さんあけましておめでとうございます。
「古事記」や「日本書紀」は読者が五経の知識を持っていることを前提にして書かれているのではないかと私は推測しています。
ですので、春秋や易経特有の言い回しや故事が説明なしにちりばめられていて、それが近世以降の研究者にとって記紀をわかりにくいものにしているのではないかと思います。
賀茂真淵や本居宣長は記紀に含まれている支那の古典からの引用を「からごころ」であって古代人の思想を探る上で邪魔になるとして排除してきましたが、記紀を作成した古代人はむしろ支那の古典を積極的に活用することによって、自分達の思想を表現しようとしていたのではないか、そんな風に私は想像しています。
出雲が道教系とか、秦氏が・・・とかいったことはまだ考えていません。研究が進めばそういう風に考えるようになるかもしれませんが、今の辞典ではまだわかりません。
記紀を書いた人たちも、読んだ人たちも、五経をそらであんじるほどの知識人でした。それを正しく読むには同じく五経の知識が必要なのではないかと私は思っています。日本の古典を読む上で五経を軽視するのは、ギリシャ・ローマの古典を読まずしてシェークスピアを読もうとするに等しい蛮行ではないかと思うのです。
投稿: べっちゃん | 2010年1月 3日 (日) 15時32分
それと儒教で論語が重視されるようになったのは朱子以降で、それ以前は論語にはあまり重きが置かれていませんでした。
だから中世以前の「儒教」を論じるに当たっては、論語から想像される儒教を前提にして考えると間違えるのではないかと思っています。
論語とそれと孟子、これにそれほど重きを置かず、五経を重視する儒教は支那の古典学とでも言うべきもので、我々が想像する朱子の影響を強く受けて融通性を失った儒教とはもっと違ったものだったはずなんです。
投稿: べっちゃん | 2010年1月 3日 (日) 15時44分
>出雲が道教系とか、秦氏が・・・とかいったことはまだ考えていません。研究が進めばそういう風に考えるようになるかもしれませんが、今の辞典ではまだわかりません。
記紀を書いた人たちも、読んだ人たちも、五経をそらであんじるほどの知識人でした。それを正しく読むには同じく五経の知識が必要なのではないかと私は思っています。日本の古典を読む上で五経を軽視するのは、ギリシャ・ローマの古典を読まずしてシェークスピアを読もうとするに等しい蛮行ではないかと思うのです。
仰るとおりです。申し訳ありません。「論語読みの論語知らず」もいいところでした。
以前から思う所ですが、明治と戦後の教育は意図的に、「からごころ」や「五経」を嗜む思考や知識の喪失を行う必要があったように漠然とは感じています。
>おそらく卦辞を最初に作成したのは西周の人物で、さらに初めは八方位ではなく六方位だったのではないかと思います。
べっちゃんさんの「八方位ではなく六方位」による国家の初期配置 = 六芒星のイメージによる国の配置が浮かんだものですから。となると五畿七道は、もともと「大極(五畿)六道」(山陰・山陽は一道というより対象ではない?)ではなかったか、出雲・大和連合王朝から見てになりますが。
投稿: 保守系左派 | 2010年1月 3日 (日) 23時21分
万世一系とか出雲とか怨霊とか邪馬台国論争といったトピックにはとらわれずに記紀を読んでみようかなと思っています。
そういう明治や戦後の政治の影響を受けたトピックの解答を見つけ出そうという姿勢は、むしろこういった政治を国学に持ち込んだ人たちの術中にはまることだと思うんですよね。
御紹介のページは面白そうなのであとでゆっくり読ませていただこうと思います。保守系左派さんの巡回ブログには面白いページが多いみたいですので、また紹介して下さい。
易経から最も古いと思われる記述が書かれている卦を数えると面白いことに16になりました。次に古いと思われる卦を数えると9になり、次に古い卦の数は11でして、16→25→36という順で卦が増えていったのではないかと言うことが帰納的に導き出されました。
甲乙丙丁戊己庚辛壬癸の10進法で太陽の運行を記述しようとしたのは東夷の商ですので最初の25卦は商の時代に作成されたのではないかと思います。
それにたいして西域の影響で歳星(木星)を重視し、支那の天文学に十二進法を持ち込んだのが西周です。木星は約12年で太陽の周りを一周します。ですので25卦を増補して36卦にしたのは西周でしょう。
最終的に八方位になったのは、商の天文学と西周の天文学を統合する過程で、10と12の公倍数の関係から360度で天球を分割し、月の動きと太陽の動きを24節季で調節する天文学が確立したからだろうと思います。
投稿: べっちゃん | 2010年1月 4日 (月) 00時11分
>御紹介のページは面白そうなのであとでゆっくり読ませていただこうと思います。保守系左派さんの巡回ブログには面白いページが多いみたいですので、また紹介して下さい。
べっちゃんさんと違い、基礎が足りないので、すぐ色々と影響を受けやすいので、トンデモに引っかかり易いんですよ。
http://www.ne.jp/asahi/davinci/code/index.html
秦野エイト会 歴史のお勉強 秦氏について
http://www.sol.dti.ne.jp/~toy-ohba/
天照国照彦 連立王朝について
リンク参照
http://www.sol.dti.ne.jp/~toy-ohba/
邪馬台国大研究・ホームページ
>そういう明治や戦後の政治の影響を受けたトピックの解答を見つけ出そうという姿勢は、むしろこういった政治を国学に持ち込んだ人たちの術中にはまることだと思うんですよね。
上記のHPは、ご指摘の部分が多々あるかもしれませんから、面白くないかもしれません。下のHPは、いいと思います。
http://blogs.yahoo.co.jp/konkitikunmimichan
中国4千年の摩訶不思議
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投稿: 保守系左派 | 2010年1月 6日 (水) 19時42分