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2010年2月13日 (土)

国債に関するごく基本的な認識のズレ

 財政再建を金科玉条とする普通の人たちと話していて、彼等と自分との間になんかズレがあるな、と思っていたのですがどうもその原因らしきものに気がつきました。

 日本の国債残高は600兆円強あるわけですが、彼等はどうもある日突然これらを一気に返さなければならなくなる日が来ると信じているみたいなんですね。

 実際はどうかというと、毎年100兆円返して、新しく120兆円くらい借りると言うことを繰り返しているのです。彼等は国と銀行の間で毎年行われているこのでっかい取り引きのことをどうも知らないみたいで、ある期限が来たらそれを全部返さなきゃいけないと思っているようなのです。

 これはやはり個人の借金の印象が強いのが原因だと思います。個人の場合、借り主が死んだり夜逃げしたりすると、残された家族に一気に借金が降りかかります。そのような日が国にも来ると思っているみたいなんですね。

 日本の国と銀行には、毎年100兆円の金を返したり、新しく貸したりする力が十分にあって、実際そういう取り引きが毎年行われている。これが広まればもうちょっと政府の借金に対するヒステリーが治まるのではないかと思います。

 毎年100兆円返して、新しく120兆円借りる、これが乃ち国債特別会計ですが、私が財政赤字と政府の債務総額を表計算ソフトに入れてチェックした限りでは財務省は別に変なことはしていません。日本の財政には60年で国債を償還するというルール(別に法制化はされていない)があるのですが、これは既に有名無実となっています。60年償還は60%くらいしか実施されていないはずです。表計算で調べればすぐにわかります。

 なんで有名無実になっているかというと、国債費が膨れあがると困るからです。そうやってやりくりしたお金は一般会計に回されています。財務省は財政規律を犠牲にして一般会計で使えるお金を増やしています。国民としてはこれを素直に褒めるべきだと私は思います。

 あと夜逃げした借り主の借金が家族に降りかかるたとえですが、国民のイメージとしてはダメ親父(国)が競輪やパチンコ(無駄な道路やダム)で作った借金をしたのが子供(国民)に降りかかってくると言うことなんでしょうが、実際は親父は競輪もパチンコも大してやってはいなくて、ほとんどは家族の生活費に使ったというのが実態です。

 また、国の借金の原資は国民の貯金ですから、いわば家族の間で金の貸し借りをしているようなもんで、家全体としてはプラマイはゼロなんですよね。

 しかも国が借金をして使った分は回り回って国民の給与になって再び貯金となって帰ってきます。金を使えば使うほど社会全体としての蓄えが増えるというのが資本主義の仕組みです。最終的な貸し手(国民)が「今すぐ全部返せ」と言わない限りこの仕組みは回り続けます。まあ国民がある日突然自分の貯金を全部はたいて買い物をしたいと一斉に思えばこの仕組みは崩れてしまいますが、それは即ち超好景気が来たと言うことになりますので、その時には国借金の心配もなくなっていることでしょう。

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経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

> 個人の場合、借り主が死んだり夜逃げしたりすると、残された家族に一気に借金が降りかかります。

↑うそ。

> ほとんどは家族の生活費に使ったというのが実態です。

↑生活費を借金でまかなうのは問題だよね。

> 毎年100兆円返して、新しく120兆円くらい借りると言うことを繰り返しているのです。

↑それは実質的に多重債務者だろ。

> しかも国が借金をして使った分は回り回って国民の給与になって

↑一部のゼネコンとかはそうかもね。

> まあ国民がある日突然自分の貯金を全部はたいて買い物をしたいと一斉に思えばこの仕組みは崩れてしまいますが、それは即ち超好景気が来たと言うことになりますので、

↑あるいはハイパーインフレが来たとき。

> また、国の借金の原資は国民の貯金ですから、

↑制度上そうなっているわけではないはず。たまたま今はそれに近い状態かもしれないけど。

> 最終的な貸し手(国民)が「今すぐ全部返せ」と言わない限りこの仕組みは回り続けます。

↑毎年20兆円ずつ借金が増えても大丈夫なの?
ちょっと前まで個人金融資産1400兆円って言ってたと思うけど、(1400-600)/20 = 40で40年はOKって考えてよいのかな?
そのときは、個人の株式は全部売られて、個人の投資用不動産も全部売られてることになるけど。
そもそも個人金融資産1400兆円って個人の負債とか個人事業主の運転資金を除くと、
実質的にはその1/3ぐらいじゃなかったっけ?

> 日本の国と銀行には、毎年100兆円の金を返したり、新しく貸したりする力が十分にあって、実際そういう取り引きが毎年行われている。

↑その100兆円も借りた金。

> 実際は親父は競輪もパチンコも大してやってはいなくて、

↑ただドブに捨ててるようなものかもよ。

> 金を使えば使うほど社会全体としての蓄えが増えるというのが資本主義の仕組みです。

↑力強く断言してるなぁ。ケインジアンか?

> 財政再建を金科玉条とする普通の人たちと話していて、

↑確かに子のエントリを読む限りお前は「普通の人」じゃないわな。

> 彼等はどうもある日突然これらを一気に返さなければならなくなる日が来ると信じているみたいなんですね。

↑そんな人いないでしょ。個人向け国債だって年4回は発行されてるんだから。

> 残された家族に一気に借金が降りかかります。そのような日が国にも来ると思っているみたいなんですね。

↑そんな人いないでしょ。
結局のところ国の借金は徴税権で担保されてるから、やばくなったときに国がとんでもなく高い所得税をかけたりするんじゃないかと思っている。
あるいは、(日本国債はほぼ国内で消化されてるらしいからまだ大丈夫なんだろうけど)国の借金が大きくなりすぎて、国債が暴落するとか、円が暴落するとか思っている。

2008年もやっぱりジンバブエ1位、日本2位のものは?
http://d.hatena.ne.jp/yumyum2/20091211/p2

フィナンシャルタイムズ曰く、日本の財政赤字は問題じゃないよhttp://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2010/02/post-62ee.html

無知蒙昧な人とは、このような人をさす言葉なのですね。

http://swinglike.ojaru.jp/

 おはようございます。

 なんだかよくわからないけれど、この現象はこのエントリーが案外いい線をいっていることの証明なのかもしれません。

 個人の借金については相続拒否をすればいいんですが、このことすら普通の人は知りません。借金取りはこういった普通の人の無知につけ込んで本来なら払わなくても良いような金まで取り立てようとします。

 借金によって得られたお金を財産として計上していい、という取り決めが資本主義の出発点ですが、この取り決めは「借金は必ず返済されるはず」という人々の共通認識によって裏打ちされています。

 逆に言いますと「借金なんて逃げたもの勝ち」というのが普通の世の中では資本主義は生まれません。

 相続拒否のことを知らない人がほとんどで、親の借金は絶対に返さなければならない、あるいは借りた金は生命保険を使ってでも返さなければならない、という人がほとんどの国じゃないと資本主義は生まれない。

 まあだから、その資本主義が発達した極限状態とも言える今の日米欧で、決して精算されることのない政府の借金によって経済の成長が支えられているというのはおおいなる矛盾で、日米欧の人たちがヒステリーを起こしたくなるのも無理もないことです。

 国は借金を清算する必要がないということに国民の大多数が気がつくことがデフレを脱却する条件ですが、そうするとじゃあ俺の借金だって借りまくって最後は子供が相続拒否すればいいんだろというのが広まるはずですので、デフレ脱却のための施策が資本主義そのものの根本的な基盤を壊す可能性を秘めているわけです。

 そのあたりで政治家・財務官僚・日銀官僚は悩んでいるのでしょう。

国債は国の借金ではなく、通貨発行です。
帳簿上で負債になっているだけです。

複式簿記を理解できない間抜けが多すぎるのが問題ですね。

これはすごく納得いく話。
確かに国債に関して、勘違いしている人が多い気がします。

774さんはこれを否定(というかこれから目をそらさせたい)んじゃないかと

>60年償還は60%くらいしか実施されていないはずです。


 個人や企業の場合、年毎に総債務の数分の一を返すと同時に、また借りるなんて取り引きは普通はしませんからね。政府の債務のことがわかりにくくなって当然だと思います。

 政府は個人と違って死なないから、債務の一括精算がやってこないといいましたが、別の見方をすると国家というのは毎年死んでは生まれることを繰り返しているとも言えます。

 一般的な認識としてはおそらく「日本政府は三十年くらいの期限で500兆円くらい借りていて、きっと俺が年金暮らしを始める頃にその返済が一気に襲ってきて、俺の年金はパーになるんだ」という感じなんだろうと思います。

>政府は個人と違って死なないから、債務の一括精算がやってこないといいましたが、別の見方をすると国家というのは毎年死んでは生まれることを繰り返しているとも言えます。

 書こうかどうか悩んでたんですけど、べっちゃんさんは「洵(まこと)に日に新たに、日々に新たに、また日に新たなり」と見ているのかなとさらっと読んでたんですけど、別の意のほうが強いような気がしたんですけど、日本の国家予算が単年度なのは、国家の生と死を繰り返す、日本古来の信仰「生命の連続性と発展の永遠性」の体現と見ているんじゃないかと。
 日銀は、日(太陽)=金=生命と銀=月=再生を通貨をもって成しているとも見れますが、考えすぎだなこれは。
 予算が単年度であれば。清算たる「死」は訪れない。複数年度予算導入の話とか、国に複式簿記の考えを導入するのは、「神殺し」と自分は見てるんですよ。

 保守系左派さんこんにちは

 いや〜そんなに深いことは考えていないです(^^;便宜的にそう考えると理解しやすいかなと思っただけです。

 でも短いサイクルで死と再生を繰り返すからこそ永続性があるというのは、お伊勢さんの遷宮にも見られますよね。

 国家の運営というのは元々天地の正しい運行を促すための年中行事が変化していったものですので、国家の運営そのものに昔の人はある程度このような神の死と再生をみていたんじゃないかなと私は思います。

 バランスシートや複数年予算の考え方は江戸時代にもありましたので、日本の伝統の破壊と私は考えませんが、戦後政治の在り方からは大きく変わりますよね。

 特に複数年予算の考え方は、日支事変中の臨戦費や勅令で軍部や新官僚が国会で正規の手続きを踏むことを略してに国を動かしたやり方に似ていますよね。立法府の無力化戦略の一環でしょう。

 そもそも複数年予算って、憲法や予算法に違反しないのでしょうか?

 民主党の立法府無力化戦略を立案しているのは、官僚くずれや松下塾系でしょう。彼等の言うところの正義に最短距離で行き着けないような制度は守る必要なしとでも言いたいのでしょうか。

 小沢一派や社会党の残滓の横柄さも嫌いですが、民主党に巣くうこれら官僚くずれやコンサル系の選民思想も鼻持ちなりません。参議院選挙で小沢一派が失脚すれば彼等が前面に出てくるでしょうが、彼等もまた国を誤りますねきっと。

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