« 見た目より根が深い | トップページ | 要は舐められているんだな »

2010年4月 4日 (日)

実は社会派マンガだった?ープロゴルファー猿

 チャットで友人と「プロゴルファー猿」の話をしていて思ったのですが、あれって結構世相反映したマンガだったことに気がつきました。

 猿の姉弟はキャディのバイトをしているのですが、あの頃はリゾートブームで日本中の山奥にゴルフ場が建設され、農家の子弟がゴルフ場にアルバイトに来ていたのでしょう、中には見よう見まねでゴルフに長けた子供というのもいたのかもしれません。

 猿の援助者のおっちゃんは明らかに土地成金です。

 しかもテーマが賭けゴルフ。バブル紳士のたしなみ(?)でした。

 他にもアルコール中毒で落ちぶれた元ゴルファーとか、オフ中のゴルフで怪我をして引退したプロ野球選手とか際どいネタが出てきます。1980年代のゴルフ場という、熱気といかがわしさの入り交じった空間をうまく表現した作品だったといえるのかもしれません。

 ちなみに私は紅蜂さんのファンでした。みんな同じような顔の藤子先生の作品の中では珍しく美人で。猿を二度も追いつめるし、けれど親身になってくれたり、あれは魅力的なキャラでしたね。紅蜂さんって、ミスターXの女かなとも思ったのですが、反抗したり、ミスターXも普通だったら敗者には見向きもしないところを紅蜂を鍛えようとしたり、ありゃ多分ミスターXの娘なんでしょうね。

« 見た目より根が深い | トップページ | 要は舐められているんだな »

アニメ・コミック」カテゴリの記事

コメント

 前回のエントリーの続きに書いたほうが良いのかもしれませんが、あえてこちらに書かせてもらいます。というのも久方ぶりのアニメ関連のエントリーなので。
 NHKドラマの件とは別に、アニメについて何ですが、べっちゃんさんの好みではないアニメ、エヴァ、エウレカ、ガンダム00、コードギアス 反逆のルルーシュ、鋼レン等にみられる思想制御・刷り込み(洗脳)的手法をどのようにみているのか、前々から気になるところではあったんですけど、どうなんでしょうか?
 リベラル的かつニューエイジ思想が強いように感じるのですが。

 保守系左派さんはこんにちは、エヴァとエウレカは好きです。ガンダム00とルルーシュは絵が好みではないので見ていません。

 私はアニメを見る見ないはほとんどの場合絵の好みで決めています。

 ガンダム00とルルーシュに関しては見たことがないので判断できませんが、エヴァはサブリミナルっぽい演出や心理学?から応用したらしき人間心理の基層イメージが多用されていたのは見ていて分かりました。エウレカについては「見せ方」が非常に上手で計算された作品だったという感想を持っています。

 エヴァの場合、プロパガンダすれすれの演出が多いので、今であったらゴールデンタイムでは放映させてもらえないかもしれません。

 エウレカの場合は個々の演出には問題はないと思いますがあのように洗練された手法を使って、ゴールデンタイムなどに政治的メッセージが強い作品を流されると確かにちょっと危ないかもしれません。

 そういえばエウレカも心理学を援用しているんですよね。作中で「金枝篇」が随所に登場します。

 けれど、今のアニメは青年に受けることを追求しすぎたと思います。青年を喜ばせることを追求した結果が、エウレカやガンダム00やルルーシュなんだろうと思いますが、そのせいでむしろアニメのファンは減りつつあります。

 だから、アニメが将来多数の人間をコントロールする手段に使われる可能性は少ないだろうと思っています。オタク受けを追求したことが、アニメがそういった政治的な人たちに利用されることを防いだだと言えるかもしれません。

 アニメは子供のための娯楽に立ち返るべきだと思います。

 2005年あたりからしばらく続いた演出の精緻を尽くした作品(私が好きな「ふしぎ星の☆ふたご姫」もその一種です)が、どれもこれも最終的にパッとしない結果に終わり、むしろアニメは「同じ展開がいつ果てるともなく続く」作品が主流になっています。

 ドラえもん、サザエさん、ちびまる子ちゃん、クレヨンしんちゃん、忍たま乱太郎、おじゃる丸、名探偵コナン、ONE PIECE、鋼の錬金術師、NARUTO!、ケロロ軍曹です。プリキュアシリーズもその一種といえます。

 アニメの伝統芸能化ですが、アニメは保守系左派さんが危惧されるのとは反対の方向性で社会を維持するための装置となっているのかもしれません。

 アニメに色々な可能性を求めていた私としては、このようにアニメが発展を止めて閉塞的になっていくのはちょっと残念です。

 後世日本史の研究者は「ふしぎ星の☆ふたご姫」と「交響詩篇エウレカセブン」が日本アニメの到達点であったと評価するだろうと思います。ふたご姫は子供向けの、エウレカセブンは青年向けの。おそらくこの二つを超える作品は今後現れないのではないかと思います。

 ありがとうございます。
 自分はアニメは嫌いではないんですよ。
 ただ最近のものはほとんど断片的にしか見てないのですが、放送のタイミング(現実世界の政治状況)と取り上げ方に「次の時代の政治性」を刷り込んでいるような感覚にとらわれたからです。
 別のブログの方との、エヴァの「母権主義」批判=日本社会批判で、フェミニズム=「父権主義」の礼賛とか、エウレカの「金枝篇」的な、「大地(神)との絆の喪失」=スカブコーラル破壊=天皇制廃止、「神道と農業と建築・土木工学の呪術関係の喪失」による「多文化共生」論じゃないのとか。
 ガンダム00の、ソレスタルビーイング(天上人)=ガラスの天上人(ネオリベ=リベサヨ)による矛盾に満ちた改革(イノベイター)礼賛と国家という概念の喪失への誘導と選ばれし者による未来と、新階級制度の肯定。
 鋼レンの、国土練成陣による「国民の賢者の石」化は、日本人の喪失=「日本は日本人だけのものではない」 錬金術の基本、理解、分解、再構築の、日本経済のデフレ肯定と階級社会の再定義、PFI、PPP推進による霞ヶ関叩きと政策決定権の大企業への移管。
 とまあ、空想的過ぎるようなことが浮かんでいたものですから、丁度いい機会かなと思って書かせていただきました。

 保守系左派さんが考えておられるようなメッセージはたぶんアニメに込められているんだろうと思います。(なにぶん最近アニメを持った組ないので、鋼の錬金術師も身体をいじくるというテーマが残酷なのでマンガの時から絶対に見るまいと決めています)

・国際的大企業が悪役として描かれつつも最終的に主人公はその陣営に取り込まれてしまう
・世界をコントロールする賢人機関が登場する
・国家が崩壊する
・無気力な政治家
・利己的な市民

 これは最近の「問題作」とされたアニメとか映画とかドラマに共通するモチーフです。日本以外でもその傾向がありますね。

 まあ私がアニメを含めてテレビを全く見なくなったのも、こういったイメージに辟易したからなのかもしれません。

 このモチーフは聖書の「黙示録文学」そのものです。作っている人が聖書に造詣が深いのか、世の中がこう行き詰まってくるといつの時代もこういうのが受けるのか。アニメの制作者の中には確信犯的に黙示録を取り入れている人もいるでしょう。

 最近のアニメには原案や世界観を作ることを仕事にしている人・会社があるんですよね。この仕事はちょっと怪しいなとは前から思っているんですよ。

「スターウォーズ」のアナキン三部作と「マトリックス」の影響が大きいのではないでしょうか?

でも両者共に日本のマンガの影響が強いんですよね。

この二つに影響を与えた作家というと手塚治虫先生、宮崎駿先生、押井守先生、ですね。確か三人とも聖書は好きだったと思います。そして三人とも無政府主義的な傾向がとても強い人たちです。

アニメに政治的メッセージを込めて、それをちょっと難解でかっこいいと感じさせるのは得に宮崎先生と押井先生の得意な手法です。

今青年アニメを作っている人たちは、この二人の作品の見過ぎなんじゃないでしょうか?

それとマンガと黙示録というと永井豪先生がいるのですが、永井先生の作品はほとんど見ていないので語ることができません。

ただ永井先生の場合土着の信仰を否定するどころか、思いっきりそのエネルギーを信頼しているような感じを受けます。

また、今のアニメから消えたモチーフとして「魔法」があります。とくに自分が変身する、物や相手の姿を変える、手を触れずに物を動かす魔法(テレキネシス、テレポートも含めていいでしょう)は消えてしまいました。

これってまさしく日本の神様の能力なんですよ。

戦闘コマンドに変身するとか超強力な生命エネルギーを引き出す武器というのは私が知っている魔法とはちょっと違います。これは科学技術の延長ですよね。

作っている側も見る側も日本神話の知識が薄れてきているのでしょう。

>作っている側も見る側も日本神話の知識が薄れてきているのでしょう。

 キリスト教的価値観が随所に出て、日本的価値観を喪失させるそんなものが感じられますね。ということで、べっちゃんさん達のコミケ等での活動は重要なものですね。
 無政府主義(アナーキズム)の影響は本当に大きいと思います。だから宮崎駿氏、押井守氏の作品が海外で高い評価を受けるのも
そういう部分があるのだと思います。

>最近のアニメには原案や世界観を作ることを仕事にしている人・会社があるんですよね。この仕事はちょっと怪しいなとは前から思っているんですよ。
 大学の文系で道を外してその手の活動家に染まってしまった方達でもいるんでしょうか?

 土着の宗教も総唱宗教も物語の大きさという点では遜色はないと思います。私たちは日本神話が取り立てて大事だからという意味で物語を作っているのではなく、日本神話の物語の力強さ、面白さの普遍性を信じているが故に創作活動をしています。ただ、私たちの力量不足のために十分な成果は上げていませんが・・・

 ユダヤ教、キリスト教、儒教、仏教には世界的帝国への憧れがあります。歴史の授業では、世界帝国が自らを守るためにこれらの一神教的な宗教を国教化したと教わりますが、順序は逆です。

 一人の君主にまとめられた多民族国家がまず先にあり、それに憧れて世界帝国を宗教で後付けしたのがイザヤ以降のユダ教であり、仏教であり、儒教です。政治体制の方が先で、宗教が後です。

 聖書とか仏典を読めば分かるのですが、非常にアケメネス朝ペルシャとかカニシカ朝みたいな世界的帝国に好意的なんですね。儒教も、孟子や荀子は秦に好意的なんです、意外かもしれませんが。戦国期の諸子百家の中で一番秦に好意的なのは儒家です。

 これは日本の国粋主義者がなぜか新自由主義と親和性が高く、米国礼賛に走りがちなことと関連があると思います。民族主義と世界的帝国への憧れ(コスモポリタニズム)は不可分なんです。そして、民族主義者というのは概して土着の信仰とかは馬鹿にして弾圧するものなんですよ。

 べっちゃんさん達の活動応援してますよ。
 ただ、最近の「八王国記(トクマ・ノベルズEdge) 」とかNHKの渡来系礼賛特番の連発で、日本神話そのものを消滅させるような気運には危機感を覚えますね。
 「ローマ人の物語」でも「キリストの勝利」のなかで、多神教の価値観に基づく寛容の精神と伝統に対しては、むしろ一神教は酷薄なんですよ。階級的秩序を重んじることが根底に有りますから。儒家の階級を重視する思想からすれば当然のことでしょう。だから、焚書坑儒にしてもむしろ、民間にあった他の思想の根絶じゃなかったかと思えるんですよ。
 
>民族主義と世界的帝国への憧れ(コスモポリタニズム)は不可分
グローバル資本主義と地球市民的平和の矛盾ですね。どちらも、コスモポリタニズムと親和性が高そうです。
 どちらも目指すのは、「天上人(ソレスタル・ビーイング)=ガラスの天上=選民=領道者=先導者」による「階級の固定化と新秩序」に従属させることで、人は救われると信じていることでしようか?
 「サステナブル・キャピタリズム」でいうところの「ホモ・ソシエンス」というものと同じなのかは分かりませんが、彼らにとっては、「多文化共生」の美名の下、実質的には、一神教的価値観による統一(土着信仰の排除)に向かうのでしょうね。

>民族主義者というのは概して土着の信仰とかは馬鹿にして弾圧するものなんですよ。
 この辺りは、某半島だけではないですが、国内の欧米出羽の守全般に言えることではありますね。

 日本の左翼とかその亜流であるネオリベラルは、支那や朝鮮からの移民を受け入れることで天皇制の弱体化が実現できると思っているようなんですが、これはおそらく逆効果になるだろうと私は思っています。

 大陸でいくら人が余っているからといって、日本に一度に数千万人も移住はできません。どうしたって移住者は日本では少数民族であり続けることになります。

 そうなると、心細い移住者は、日本人がどうしても従わざるを得ない権威にすがって、安全を保障するしかなくなります。

 すなわち天皇家です。

 飛鳥の帰化人たちが強力な天皇制中央集権国家を作ったように、移住者の拡大は天皇の権威の強化につながるでしょう。

 大陸の人たちはそこら辺のことはよくわかっているはずです。彼等は血縁とか神仏が大好きですので、彼等による天皇家や寺社への寄付が今後増えていくでしょう。移住の拡大は日本文化の再興になるはずです。

 移住の拡大によって日本文化をとかしてしまおうという企ては失敗に終わるはずだと私は思っています。

 その兆候は既にあります。密教系の寺院を中心にチャイナタウンが形成されつつありますし、山岳信仰の祠で香を焚く支那人(台湾人?)を各地で見かけます。

 帰化人系の神社に韓国・朝鮮人がお布施をし、神社がどんどん立派になっています。

 日本はむしろ共産党に弾圧されているであろうこういった宗教に熱心な大陸の人たちを積極的に受け入れるべきなんです。

 というか既に日本はこういった大陸で宗教的に迫害されている人たちにとっての避難場所となっているのかもしれません。

 15年くらい前から、欧米から「日本は移民を受け入れろ」という声がパタリと止んだのですが、こういった日本が宗教的な避難場所になりつつあることを、得にカトリック教会とかイスラム教は感じ取っているんではないかと思うんですね。

 カレー屋が増えつつあるのも関連があるでしょう。日本でカレー屋を開いているのはインド人ではなくて、ネパール人が多いんです。共産党政権から避難してきたのだと思います。

 塩野七生氏の「海の都の物語 ヴェネツィア共和国の一千年」を読んだ時に感じたように、イスラム・カトリックの狭間で生きる為には、宗教的かつ自由が保障された地域としての「日本」を重ね合わせ、今後の「日本」の在るべき姿を見たのと同様のお話ですね。
 リベラルが描く日本社会の溶解が、実際に住んでみた外国人は、現在の日本を変えたくは無くなるということですね。むしろ現在の日本社会を維持することを望むと。
 

 韓国人、朝鮮人の移住者が反日本的な政治活動をしているといったって、それは民団とか総連のごく一部の指導者だけですからね。移住者の中では浮き上がっています。移民一世が死に絶えるに連れて彼等の反日的姿勢も薄れるでしょう。

 それと在日という呼び方は彼等の帰化を妨げますので移住者に改めるべきです。もちろん帰化を妨げるためにそう呼んできたのでしょう。これからは彼等を朝鮮半島へ返すのではなく日本人として受け入れる前提で扱うべきです。もちろん帰化が前提です。

 帰化なしで行政サービスを受けられるようにしようという民主党の政策は、民団や総連の指導者の既得権を守るだけで、移住者一人一人の福利厚生のためにはなりません。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/173723/47991738

この記事へのトラックバック一覧です: 実は社会派マンガだった?ープロゴルファー猿:

« 見た目より根が深い | トップページ | 要は舐められているんだな »

2017年10月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ