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2010年4月27日 (火)

雑文

陰暦 三月十四日

 潔癖かどうかを決めるのは裁判官の仕事であって検察官の仕事ではありません、あしからず。

 連休中は旅行へ行ってきます。皆様もよい連休を。

 5月の連休を分散したら4月29日が休みじゃない地域が出てしまうんじゃなかろうか。5月5日が休みじゃない地域もできるだろう。そんで5月3日だけは日本中が休みねえ・・・秋の連休の分散もお彼岸の中日が休みじゃない地域ができそう。なんだかんだいって日本の伝統を破壊しようと言うこのせこさはなんだろうか。誰が思いついた政策なんだろう。反元号や反国旗と同じような臭いを感じるな。

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コメント

べっちゃんさんはご承知だと思いますが、検察審査会は裁判所管轄で構成員は抽選で選ばれた一般国民です。誤解される人がいるかもしれませんので。
11人の全会一致で起訴相当というのは重い判断ですね。
これは国会で説明しないなら裁判所で疑いを晴らせと言う国民感情の素直な発露だと思います。
この後検察が再び不起訴にしても、検察審査会がまた起訴相当と判断するでしょう。
国民から直接起訴される政治家第一号が小沢一郎となるわけです。
正直その展開が見たいので、検察には不起訴にしてもらいたいくらいです(笑)

潔癖というか潔白では

mikuraさん、初めまして。

市民から「あれなら自分の台所のことを何も知らなくて当然」と無能の太鼓判を押されたもう一人のお方も逆の意味で大概ですね。

小沢は「起訴されたらそれだけで犯罪者、起訴されなければ潔白」と行っていると同じわけで、権力者がそんな認識では困ります。

起訴されたって有罪判決が出なければ犯罪者ではありませんし、検察に力がなければ犯罪者を見逃すことだってあるでしょう。

つまり小沢のその感覚こそが検察ファッショの温床であるのです。


匿名さん
間違えていますね、後で直しておきます。御指摘ありがとうございます。

旧暦にあわせた節分、しきたり、お祭りなんてものは、生活パターンの根本になるものですから、7曜制で日曜日だけの休みならまだしも土日の休みして継続できるものではありません。

そもそも人間は祭やしきたりをするために仕事を休んでいた、というか、「みんなそろっての休日」を設定してのですから(^^ゞ

キリスト教は日曜日に祭をします。

明治の7曜制導入の時点で日本の伝統は時の政府によって捨てられた、やがて無くなることを暗黙のうちに決められたのではないかと思う恭子の頃、いや今日この頃。

まあ明治は欧米化を目指した時代でしたからしようがないのかもしれませんが(^^ゞ

逆に日本人は100年以上もよく伝統を守ってきたというべきなのかな。

 キリスト教も本来はクリスマスとかイースターとか野お祭りは七曜とは別に月日が固定された日をお祝いするんです。平日でもその日は休みになります。

 ただ、欧州の一部の国では祭日の本来の意味よりも効率化の方が優先したのか、イースターは三月の第三日曜だとか、それどころか英国では女王誕生日まで本来の日ではなく六月の第○月曜日とかいう于風にしてしまっています。

 欧州でもキリスト教のことを全然わからない人たちが増えているのだとか、伝統文化への無理解は日本の比ではないそうです。日本人の場合宗教的雰囲気のある場所ではどんな不信心者でもそれなりに敬意を表しますが、欧米の場合むしろ積極的に冒涜するような行動を取る人が少なくないのだとか。

 伝統文化の継承は先進国ではどこでも問題になっているみたいです。

 推測するに、クリスマス(冬至ーケルトの新年祭)もイースター(春分ーケルトの収穫の予祝祭)も元々キリスト教のお祭りではないので七曜が固定されていないのかもしれません。

 カトリックの聖職者の間には「サンタクロースは異端なので家で飾っちゃダメ!」という運動を熱心にやっている人もいます(フランスの話です)。サンタクロースというのはなまはげと一緒で、元々は一年間の穢れを片づけてくれる歳神なんですね。

 カトリックの聖者の日も曜日が固定されていないのですが、これも元々土着の宗教の祭日だったのでしょう。

節分祭やクリスマス、夏至、冬至に大晦日なんてのは本来「土着の宗教の祭日」というよりもっと「土地土地の暦の祭」なのだったのでしょうね。

実際の天然自然の動きが暦や神の動きとして記したものが暦になって、暦に生活を支配されるようになった。のではないでしょうか?

日本では冬至もクリスマスも大晦日も新年も国民的に祝うので何度も新年を迎えているようなものですよね。

積極的に冒涜するっていうのは本来を知っているということの裏返しですからその人たちの方が信仰をよく理解しているのかもしれませんね(^^ゞ

大黒様を調べているときにおもったのですが、言い伝えの内容(天然自然への解釈)の違いはともかく、冬至とクリスマスと新年とラマダンは本来はいずれも民俗でいうところの「歳神」を送り迎えする行事だったのでしょうね。

 積極的に冒涜している人の話はドイツの敬虔なカトリックの人のレポートに「最近の欧州の人は公共の場所への経緯が足りない」と憤慨しているレポートで知りました。

 しかし思ったのですが、本当に知らない、無関心であるなら、そもそも教会には行かないだろうし、わざわざ注意を促す張り紙とかロープを積極的に無視するような行動取るはずがないんですよね。

 教会を訪れているという時点で何か関心があるんだろうと思います。

 それを四角四面ばった対応で追い払ってしまうのは勿体ないなと思いました。こういう人は「何かお困りですか」とかそういう別の方向から攻めたり「そもそも宗教に無関心なはずのあなたが教会に来てくれたのは何故でしょうか」みたいに問い掛ければ、意外に熱心な信者に変身する可能性がある人かもしれません。

 好きな子にイタズラをする男の子みたいな物ですよね。

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