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2010年5月 9日 (日)

大連旅行記(五)

陰暦 三月二十六日

 四日目は夢の超特急アジア号を見るために瀋陽へ行きました。アジア号は南満洲鉄道が大連ーハルピン間で昭和9年から18年まで運行していた特急列車で、800kmを約10時間で結んでいました。最高時速は120kmでSLとしては世界最高級のスピードでした。

 現在アジア号を引っ張っていたパシナ型機関車は二台確認されていまして(三台という話もありますが)一台は大連の車庫に、一台は瀋陽の蒸気機関車博物館にあると事前の情報ではなっていました。

 しかし大連のパシナは中国の国鉄の車庫にあるため事前の申込が必要なため諦めました。そこで中国の鉄道に乗るのも兼ねて瀋陽へ向かいました。大連八時発の瀋陽北駅行きの特急に乗って出発です。

 大連市内をでてしばらくは丘陵の中を進んでいきます。遼東半島を抜けたあたりから平野が広がり始めます。地形としては東北地方の福島県や岩手県の風景のスケールを大きくして乾燥させたような感じです。鞍山炭坑を通り過ぎたあたりから一気に眼前に平原が広がりました。満洲の大平原です。瀋陽(旧奉天)を南の入り口にして、その奧に約千キロ四方の大平原が広がっています。日露戦争で最後の大決戦奉天会戦が行われたのもこのあたりのはずです。


 瀋陽の駅に降りると雨が降っていました。遠く成都から到着した寝台列車を横目に見ながら駅を降ります。この駅舎も満州国時代に建設された物なのだそうです。駅前では地下鉄開業に向けた工事が行われていました。商店街の米麺屋で軽く朝食を済ませて、タクシーをつかまえました。瀋陽にいられる時間はあと三時間です。

 事前の調べでは植物園にあると言うことだけしかわかりませんで、市東部の世博園にいくように運転手に頼みました。町はずれだから帰りも乗せてやる、そのかわりに前金で百元払えと言います。ちょっと高いような気もしましたが、時間がないので払いました。運転手はホクホク顔でしたが、実はこれからが彼の苦労の始まりだったのです。

 さて出発してから運転手は「蒸気機関車博物館は市の西部にあるはずだ」と譲りません。とりあえず近くまで行ってみて地元の人に聞いてみたところその人も西だと言います。駅の売店で求めた地図をよく見てみたら、駅の西側に小さな植物園があってそこに小さく「蒸気機関車博物館」とありました。運ちゃんと共に喜び勇んで市の西部へ向かいます。

 しかしその場所へ行ったところ、オリンピックのサッカースタジアムに変わっていました(あとで調べたところ日本ーオランダ戦の会場でした)。事前の調べではそれなりの博物館ができているという話だったので途方に暮れてしまいました。支那に詳しい友達の話によるとここではかなり立派な構造物を建てても、きまぐれのように取り壊して別の建築物を造るのは珍しくないのだそうです。国家の鶴の一声でなんでもできる国は違います。

 道行く人に聞いても要領を得ません。運ちゃんも焦りがでてきて情報網をフル活用して電話をかけまくります。どうも面子という物がかかったらしい。既に料金は百元を超えているはずです(最初の約束でメーターはつけていない)。支那ではお馴染みの道ばたに座っている地元のお祖父さんに聞いたところ「市の南部へ行った」と答えました。とりあえずそっちへ向かうことにしました。

 そのあとも電話をかけまくります。タイムリミットは刻一刻と迫っています。おじいさんの指した目的地に着く寸前に「知っている」という人につながりました。お祖父さんの言った通りでした。道ばたの爺さん侮り難し。

 ものすごいバラックをくぐり抜けると、真新しい庁舎がありました。鉄道博物館とあります。降りて中をのぞいてみると、確かにパシナらしき物体が奧にあるのが見えました。しかし中からおじさんが出てきて「まだ開館してないから見せられない」と断られてしまいました。開館前なのに場所を知っていた爺さんにますます感心してしまいました。

 というわけで開館前なので詳しい場所を教えられないのが残念なのですがパシナは確かにそこにありました。開館すれば支那で一二を争う立派な鉄道博物館になるでしょう。開かれたら必ず行きます。今から楽しみです。

 この日は中国人の口コミ情報網と面子がかかった時の頑張りのすごさを思い知りました。

 運ちゃんには感謝の意味も込めて(いい加減疲れて面倒臭くなっていたというのもあるが)多目に払いました。キロロを聴くのが好きな運ちゃん、お元気で。

 運ちゃんの頑張りのおかげで少し時間が余ったので中山広場の巨大毛沢東像を拝みに行きました。

とにかくでかい

毛沢東の下を人民の群像が取り巻いています。躍動的でなかなか良い彫像だと思いました。

左側、なんかどれも顔が似ているような気もするが気にしない

後側、毛沢東の頭がひか・・・なんでもないです

右側

 瀋陽の中山広場周辺にも満州国時代の建築物が残っていました。この時代の日本が作った建築物は頑丈ですね。


 さて瀋陽の駅のなかなか快適な待合室で列車を待っていると、ダイヤが乱れて列車が一つもやってきません。中国人は目の前に目標物がある時にはわれもわれもと突進しますが、目標物がない時には辛抱強く待つという特徴があります。このギャップが面白いです。事故でなければよいと思いましたが、一時間遅れで動き始めました。

列車に乗れるとわかって俄然張り切り出す人民の方々

 ネックになっていたのは丹東ー瀋陽北の特急だったようです。この列車からあとのが全て止まっていました。翌日日本に帰る飛行機のニュースで北の将軍様が大連にやってきたことを知りました。どうやら金正日訪中の下見がこの日に丹東を通って遼寧に来ていて、そのために足止めをくらったようです。将軍様のきまぐれにも困った物です。連休を振り回された国鉄と警備と高官の皆様御苦労さんでした。

出発前にホテルより大連の夜景を移す

 翌日は僅差でご到着の交通規制に巻き込まれることもなく、速やかに日本へ帰ってくることができました。支那の今と近代の歴史を垣間見られた楽しい旅でした。

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