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2010年5月 5日 (水)

大連旅行記(一)

陰暦 三月二十二日 【立夏】

 四月二十九日から五月三日にかけて、支那の大連・旅順・瀋陽(旧奉天)へ旅行に行ってきました。日本にいる友達三人と、支那に留学している友達と現地集合です。最初は上海へ行こうかという話だったのですが、万博で大変な人出だと言うことに途中から気がつき、じゃあテレビドラマで脚光を浴びていることだし、日本に近いから大連にするかということになりました。

 大連は成田空港からだと行きは三時間です。日本航空に乗ったのですが、添乗員さんに頼めばすぐに飲み物は持ってきてくれますし、お年寄りには気を遣って出入国手続きの手伝いをしたり、免税品の客引きまでしたり、お灸が効いていました。商売は国営はダメですね、公営の会社は極力民営化すべしという方針は間違っていないと思いました。各種の格差の解消や経済の回復のためには政府の支出を増やさなければならないのですが、官庁のファミリー企業を肥大化させる従来の方針ではダメなのだろうなと、見違えるようにサービスが向上した日の丸航空社員を見て思いました。

 ともあれ、大連です。周水子空港はきれいで使いやすかったです。手違いがあって迎えがいなくて一時間ほどあたふたとしてしまいましたが、公衆電話で連絡が取れました。友達の助けなしに初めて中国人とコミニケーションを取ることができました。空港の人は親切でした。

 大連は遼東半島先端部の都市で人口は350万人(旅順などの周辺の都市も含めて)。遼寧省に所属しています。日清戦争の戦利品として日本が清から租借しようとしたのですが、世に有名な三国干渉によって断念させられ、1998年にはロシアが租借。旅順に軍港と要塞を築き、満洲中心部からシベリアへ延びる鉄道の敷設権も手に入れて、東アジア侵略の拠点としました。

 これに脅威を覚えた日本は、日露戦争で遼東半島と南満洲(大体現在の遼寧省に当たります)からロシアの勢力を排除。ポーツマス条約(明治38年)でロシアから大連の租借権を受け継ぎます。韓国の併合は明治43年(1910)ですので、大連の日本被統治期間は台湾の次に長いと言うことになります。

 大連はロシアと日本に占領されていましたので、町には両方の名残があります。

 これはロシア人街。洋風の建築が並んでいます。実は立て直したのが多いのだそうですが、中にはかなり年季が入った本当にロシア人が造った建物も混ざっています。

 このようにお土産屋さんにはマトリョーシカ人形と日本人形が並んでいます。珍しい光景です。

 奧に見えるのはロシア時代の旧大連市役所です。

 このあと勝利橋から鉄道の撮影をしたのですが、鉄道の写真はあとでまとめて紹介します。

 次に日本統治時代の大連中心部中山広場の建築物を見ました。中山広場には日本が造った建築物が沢山残っています。近代建築の歴史を知る上でも貴重な資料です。

 旧 大連市役所 (現 中国工商銀行大連支店)

 旧 大和ホテル (現 ホテル大連賓館) 南満洲鉄道が経営したホテルなのだそうです。

旧 大連警察署 (現 遼寧省対外貿易経済合作庁)

 他にも横浜正金銀行とか旧朝鮮銀行とかいろいろありましたが、広場中心部が工事中だったのと交通量が多かったため、きれいに撮影できたのはこれだけです。戦前らしく重厚な建築でした。

詳しくはこちらの解説をご覧下さい。wikipedia 大連中山広場近代建築群

 この日は火鍋を食べました。お肉も魚介も美味しかったです。最後にご飯を頼んでおじやをやったのですが、支那にはおじやを作る習慣がないので店員が目を丸くしていました(笑)



大連で見かけたドラ猫

大連でも大人気のドラえもんをモチーフにしたどら焼きのお店。著作権はきっと払ってない(笑)向こうではどら焼き=ドラえもんに出てくるお菓子という認識のようです。

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