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2010年5月 7日 (金)

大連旅行記(三)

陰暦 三月二十四日

 旅順の中心部から車で十分ほど行った郊外に二○三高地はあります。旅順は山地に囲まれているのですが、二○三高地だけはその山地から外れて孤立しています。これがここが旅順攻略戦の天王山になった理由です。

 麓から二○三高地を望む。数万人が戦死したとは信じられないような小山です。

 山腹の駐車場まではタクシーで上れます。ここから十五分くらい登山したところに山頂があります。バスもありますがちょっと高いです。

山頂から旅順を望む。

 一見してわかるように、二○三高地の方面だけ山が切れていて、市の中心部と港が丸見えです。要塞からも離れているのでロシア軍からの補給も困難です。この小山さえ奪取できれば、旅順要塞も軍港も立ち枯れというわけで、乃木大将率いる第四軍が全力を二○三高地にかけた理由がこれで理解できます。

 火力で劣っていた日本軍が要塞を落とすには突撃しかなかったのは自明のことで、二○三高地にこだわり、包囲突撃をかけ続けた乃木大将の戦術は間違っていません。ほぼ対等の兵力で要塞を落としたのは世界の戦史に残る快挙で、その実績は未だに色褪せることはありません。確かに犠牲は大きかったですが、要塞を落とそうと思えばそれくらいの犠牲は生じます。乃木大将が貶められているのは日本だけです。

二十八センチ砲のモデル

お守り屋さん、

 Z旗Tシャツとか、二○三高地帽子などの日本軍グッズまで売っていました。思いっきり日本人の観光客は期待されています。日本軍グッズが欲しい人は旅順まで買いに行きましょう(笑)

忠魂塔、建立当時のまま残っていました、乃木大将の揮毫の「爾霊山」の銘もあります。

 中国語の落書きはありませんでしたがロシア語の落書きはありました。やっぱり悔しいらしい。

5月1日の二○三景地公園開設のお祝いの予行演習、朝鮮のお祭り衣装に似ていました。北方遊牧民の影響が強いのでしょう。

昔ながらの家。農村部はまだこんな感じです。

その横ではこのような近代的な住宅が林立しています。一度に建てすぎのような気もしますが、まあ長期的には支那の経済が上昇するのは間違いないので、いずれ空室も埋まるでしょう。短期的には紆余曲折はあるでしょうが。

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